親の家を片付けていて、食器類の多さに仰天します。最後は老人の2人暮らしだったのに、なんでこんなに食器がたくさんあるんや⁈
そういえば私の家にも紅茶茶碗セットが3セットもあり、引き出物でもらった対の紅茶茶碗、コーヒー茶碗も今数えると8組ほどある。で、最後に紅茶茶碗セットを使ったのがいつだったか。もう思い出せません。
結婚して新居を構えた娘たちに「紅茶茶碗、いらん?」と聞くと、「いらない」とそっけない返事。
断る理由は
1)マグカップで十分
2)紅茶茶碗(ソーサー付)を出してお茶を飲んでいる暇がない
3)そもそも紅茶やコーヒーをあまり飲まない。飲むならほうじ茶か煎茶
(ちなみに紅茶茶碗とは彼女たちは言いません。ティーカップにティーセットですよ。日本語使えよ、日本語)
だから親の家の食器など、引き取り手もありません。
箱に入っている新品の食器類なら引き取ると、親の家に来てくれた古道具屋さんとお話したところ、この半世紀でいかに日本人の家庭の生活様式が変化したか、を痛感させられました。古道具屋さんは言います。
「最近は家で食器をたくさん使ってお客さんをしたり、ましてや昼下がりにお茶の会を開いたり、といったことをされる方がほとんどいらっしゃらなくなりました。1970年代までは阪神間では主婦がお客さんをよんで手料理でもてなす習慣がありましたが、80年代後半以降、バブルのころからは家に人を呼ぶのがめんどくさい、外にいくらでもいいレストランやカフェがある、そっちの方が楽やし楽しい、と言われるようになりました」
食器でも道具でも、1980年代はじめまでは日常と非日常の両方を揃えている家庭が多かったけれど、今ではその両方を所有する経済的、時間的、空間的余裕がある家庭は少なくなった、ということです。自分ンチと他人ンチの境目がくっきりつけられるようになって、ふらっと他人の家に入り込むことは「無礼」、ときには「危険行為」と見なされるようになりました。
私が子どものころ、そういえば家には他人がよく来ていました。ご近所の方がふらっと立ち寄ったり、親戚が訪ねてきたり、泊まっていくこともよくありました。同居していた叔父が仲間を集めてパーティを開いたり(そこで結婚相手を見つけた)、週末にはご近所の人たちと両親が麻雀大会をしたり、祖父母の田舎の親戚が泊まりこんでいたり、そんな「非日常」が日常でした。
幼稚園の迎えにいったあと、子ども同士を家の庭で遊ばせながら母親たちが軽食と手作りケーキを食べたり、という光景だってよくあったのです。前に田んぼがあったくらいだし、隣には戦後に取り壊しされた社宅?がそのままになっている広い空き地があるような地域でしたから、子どもたちの遊び場には事欠きませんでした。空き地で知り合った子どもを連れて帰って、一緒におやつを食べたりしても平気でした。
疲れたら広い縁側の座椅子で一緒に昼寝もできたし、縁側に座って祖母が親戚のおばさまとおしゃべりしながら豆の莢をむいたり、近くの山でとってきた山菜の始末をしたりすることもよくありました。家に他人が出入るすることは非日常どころかむしろ「日常」だったのです。
そもそも子どものころは大家族で、最大で12人で暮らしていたこともあるくらいです。人が大勢暮らし、出入りする家。その人たちの日常生活を仕切る主婦(→ウチの場合は母)。主婦が本当の意味で「主婦」であった時代です。おそらく1980年に入るまでは、主婦が誇りをもって主婦でいられたのだと思います。
紅茶茶碗をはじめとする食器は、今の私の目からは「主婦が暇だった時代の名残」もしくは「非日常(使うためではなく見せるため)の食器」と映っていました。私自身は母から譲られたり、大叔母から結婚祝いに贈られた紅茶茶碗セットを、子どもが生まれてからはほとんど使う暇なく今にいたっています。おそらく無理やり娘たちに押しつけて死んでいくでしょう。
親の家に残された「非日常」的な日常の食器類。それの貰い手がないことを、女性たちが主婦業から解放されたことの証ととるのか、それとも暇という名の余裕がなくなった証ととるのか。
複雑な思いで片付けています。