親の家をたたむんだ、と話すと、10人中5人から「植木はどうするの?」と聞かれます。実家に庭があるみなさんは、自分が生まれたころから一緒に育ってきた、もしくは成長を見守ってきた樹木がきになるんですね。
実は私もなんです。まだ決まったわけではないけれど、おそらく家だけでなく庭もつぶされ、土地になって売られることになるでしょう。
今、親の家にある樹木は、半分ほどは両親が植えたものですが、私が子どものころ、いや、そのもっとずっと前から植わっていた樹木もあるのです。いちじく、紫陽花、もみじ、などなど。祖父母の代から大事にしてきた樹木が引っこ抜かれてしまうのはとても哀しい。でも、東京に持ってくるわけにもいかず、そもそも土が違うのだから元気に育つはずもなく、諦めるしかない。
祖母がもしも生きていたら、どれほど悲しむだろうと思います。

祖母は植物が大好きでした。お天気さえ許せば、ほぼ1日中外で庭の手入れをし、畑を耕して何かを植えたり肥料をやったりしていました。明治時代に生まれた人なので、化学肥料や殺虫剤を使うなんてとんでもない、と一蹴。枯葉を埋めて堆肥を作ったり、飼っていた鶏(幼いころ、私は母方の祖母を「こっこばあちゃん」と呼んでいました)の糞を乾燥させたものを使ったりしていたし、虫対策には炭やら酢を使い、雑草をそれはこまめに抜いていました。
初夏になると、今も利用している井戸を汲み上げた水を撒きながら、樹木や草花を見回って、少しでも異常を見つけると、出入りの植木屋さんに相談していました。
祖母が好きな樹木、それは庭の隅にあったイチョウの大木、裏庭にそびえ立っていた楠の大木(くすの木が思い出せず、昨日は楡なんて書いちゃいました、すみません)、庭の中心的存在だったサルスベリ、玄関脇で四季折々に表情があったモミジでした。
嫌いな木もあって、椿や卯の花などは「好かん」と裏庭の隅に押しやられていたような。
花の中で贔屓されていたのが、石楠花、馬酔木、芙蓉、スミレ、オダマキ、ツリガネソウ、浦島草、桔梗、鶏頭、シュウメイギクなど和物、山草系。反対に毛嫌いされていたのが、チューリップ、バラ、牡丹、ラッパスイセンなどの洋風のものや派手なものでした。
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祖母のお葬式のとき、お棺にバラや百合など入れながら、母が「おばあちゃんはこういう花は嫌いだった。庭の花を摘んでくればよかった」と言って悔やんでいました。たしかに百合もバラも嫌いだった祖母は不本意だったかもしれません。 
祖母が丹精していた庭では、春になると各種のスミレがあちこちに顔を覗かせ、踊り子草、トキソウがひっそりと咲きだし、祖母の庭滞在時間が長くなります。
夏の宵、隣の田んぼからカエルの合唱が聞こえてきて、庭の奥は群生していたヒメシャガでぼんやり白く見え、大輪の夕顔と芙蓉が風に揺れるのを縁側の座椅子から眺めているとき、祖母はとても幸せそうでした。
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「中国では、絶世の美女は芙蓉みたいと言われるんじゃ。元ちゃん、あんた、芙蓉のような女の人になりんさい」とよく言われました。「芙蓉みたいて、そんな花、おばさんみたいで嫌だ。バラの花みたいと言われたい」と私が口を尖らして口答えすると、「そげな派手な女はロクな人生は送らん」と叱られたり。
シュウメイギクと萩の花で秋の訪れを知り、玄関先のモミジの紅葉が冬がそこまで来ていることを教えます。
祖母が好んだ樹木や草花を植えている庭をあまり見たことがありません。地味だからでしょうか。そういう私も、春の花というとついパンジーやヒヤシンスを植えてしまうし、百合といえばカサブランカだったりします。祖母が見たら、嘆くかも。
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それにしても実家の樹木、やっぱり名残惜しいです。