昨晩は味の素スタジアムで、サッカー日本代表vsシリア代表の親善試合がありました。私は勉強会があり、同時間帯に見られなかったのでダッシュで帰宅してからの録画観戦となりました。なんてったって、ガンバの選手が5人も選ばれているとあっては、見ないわけにはいきません。後半に今野、倉田、井手口の3選手が中盤を構成したときには、胸が熱くなりましたよ。
とはいうものの、私はどうもサッカー日本代表戦の観戦が苦手です。 試合前からスタジアムにお経のように響きわたる「ニッポン、ニッポン」コールに酔いそうになっちゃうし、実況や解説の絶叫にもうんざりしてしまうから。テレビ観戦のときは、録画だろうが生放送だろうがA代表の試合のテレビ観戦は消音モードです。 
FIFA非加盟の国や地域、僻地の人たちが結成したサッカー協会がメンバーのCONIFAの活動にかかわるようになって、スポーツの「国別対抗戦」について考えるようになり、なぜ自分が日本代表戦に燃えないのかが少しわかってきました。
「国」に所属しないと参加できないワールドカップやオリンピック(最近は「難民」の身分での参加も可能になりましたが)ですが、どちらも代表として出場していながら、その「国」で生まれ育ったわけではなく、もしかするとその国の言葉も満足に話せない選手がいっぱいいます。サッカーのワールドカップでは、移民してきた国で代表になった選手はいっぱいいるし、オリンピックでも、たとえば卓球では中国で生まれて帰化した選手を代表にしている国は多い。スポーツの国際大会は「国別対抗戦」が原則であるがゆえに、どこかの「国」に帰属していないと選手は出場できない。だから選手は帰属意識のあるなしに関係なく、自分を代表にしてくれる国を選ぶことがあります。選ばれた国にとっても、活躍してくれれば国威発揚に役立つ。なんか……すっきりしない。

そんな私の気持ちをすっきりさせてくれたのが、星野智幸さんが「新潮」に発表した「世界大角力共和国杯」でした。 ぜひ読んでいただきたいのでネタバレは避けますが、ざっとあらすじを説明しておきます。
日本国籍ではないからと日本大相撲協会に残れなかったモンゴル人のカリスマ力士が、世論を味方につけて年寄りになり、さらに10年後に相撲協会の理事長に就任する。実権を握るや否や、「国籍条項」を全廃止しようとし、反対されると協会を脱退して自ら日本大角力連盟を立ち上げる。新連盟は「世界大角力共和国構想」を発表し、角力を世界的競技にするための画期的なアイデアをつぎつぎと実現していく。女性力士のプロ化から、外国籍力士が引退後自分の国に帰って部屋を立ち上げるときには手厚いバックアップをする、といった「革命」により、角力は日本の「国技」から、世界的人気を獲得する競技になる。
共和国杯は予選を勝ち抜いた世界中の力士が、真の角力世界一力士を決めるための大会。おもしろいのは、日本人の「純血」の力士がコンプレックスを抱く、というところ。父方、母方共に日本の有名力士だったという伊勢ノ杜という力士は「負けるたびに「純粋培養は逆境に弱い」と言われ続けてきた」という。
「出身を問われて正直に答えると、ああ、だからか、という顔をされる。血なんか関係ない、血のせいだと言われたくない。そうじゃないことを証明してやる、と思うのに、注目の一番となると固くなって自分の相撲が取れず、負けてしまう。「伊勢ノ杜は弱い」と言ってくれたほうがすっきりするのに、素質はあるけれど純日本人であるがゆえにひ弱なのだ、と言われると、やりきれない思いにうちひしがれる」
私はここで笑ってしまった。なんというアイロニーなんだ! いや、ごめんなさい、稀勢の里ファンの方に悪いけれど、ここで浮かんでしまうのが稀勢の里の姿。私も稀勢の里を応援しているけれど、日本人だからっていうんじゃなくて面白い角力だから。でも白鵬の角力も好きだし応援している。ま、私はあんまり角力詳しくないけれど。
そして両親ともモンゴル人で、日本生まれの日本育ちの大関はモンゴル系日本人であって「純血」ではないとされる。主人公は「純血って何なのだ?」と頭をかきむしります。
その答えも書かれています。
「純血とか混血とか、本物とか移民とか、全部幻想だ」
幻想、というか、フィクション。作られた物語なんだ、と私も思います。
人は自分が帰属しているものについての物語を必要としている、と文化人類学者は言います。だから神話が語り継がれ、経典や聖書が生きる上での規範となり、同じ物語を持った集団をまとめる「国」が作られる。
でも、個人が自分の中で紡いでいる物語が、必ずしも生まれ育った「国」や今暮らしている「国」の物語とは一致しないことだってあるわけです。ましてや自分が代表としてスポーツの国際大会に出場するために選んだ「国」の物語を幻想として抱けるかと問われたら、さて、どうなのでしょうか?
ときどきクスクス笑いながら面白く読んだ小説でしたが、読み終わった後に考えこんでしまいました。

私自身はいったい何に、どこに、どのように帰属しているのだろうか?
両親ともに「日本人」だったし、先祖をさかのぼっても日本で生まれ育った人たちばかりなのですが、それなら私は日本に帰属していると自覚しているだろうか?
私は自分の中でどんな物語を紡いでいるのだろう?
なーんてことを考えて、この小説を読んだ後に「口語訳 古事記」(訳・注釈 三浦佑之 文藝春秋)を読んでます。
すごいね、私。角力からいきなり古事記に飛んじゃったよw