私が幼少期から上京するまで暮らした家は、阪神大震災で全壊して今はもうない。その家の思い出はたくさんあるのだけれど、「心地よい場所」として最も強く記憶に残っているのが、縁側である。
居間から庭に張り出した幅1.5メートルほどの板敷きの縁側は、家族がくつろぎ、洗濯物を干し、ときには食事もする生活の場所だった。部屋の天井の高さから張り出した梁にビニール板がはられ、雨よけと日よけの役目を果たしていた。エアコンなどない時代である。梅雨時や盛夏には、縁側はたぶん家の中で一番過ごしやすい場所だったと思う。
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(縁側でくつろぐ?8歳の私。隣には文鳥の鳥かご)
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(縁側に沿って作られた花壇。バラの花が植えられていたこともある)

よほど寒くない限りは居間(兼食堂)と縁側を仕切る掃き出し窓は開け放たれ、居間と廊下をはさんだ位置にあった台所の勝手口も開いていたので、縁側にはいつもいい風が吹き抜けた。縁側に置かれた藤の座椅子に寝転び、「ええ風じゃ。極楽じゃ」とうっとりと庭を眺めていた祖母の姿がなつかしい。私にとって母方の祖母、といえば縁側の籐椅子なのだ。
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(子どもたちの食事@縁側。立て膝だろうが、こぼしまくろうが、何も言われなかった)

少し暖かくなると縁側にちゃぶ台が出され、子どもたちはそこで食事をした。大人は室内で椅子に座ってテーブルで食事をし、子どもは縁側の板敷きに敷いた座布団にぺたんと座ってちゃぶ台でご飯を食べる。お客を迎えての「正式な晩餐」が催されるとなると、私たち子どもはまだ明るいうちから追い立てられるように縁側のちゃぶ台で夕食をかきこみ、お風呂に入れられて2階の寝間に追いやられた。ふと目が覚めると、縁側に移ったらしい宴席から大人たちの話し声や笑い声が2階まで聞こえてきて、大人たちの時間が少しだけ羨ましかった。

男たち(祖父、父、叔父)の「領土(陣地)」が書斎や居間だったとすると、縁側は祖母や私たち子ども、そしてペットのための「領土」だった。室内で食事をしているときには、食べ物をこぼしたりするとうるさく叱られたが、縁側だったら平気だ。立て膝で食べようが、食べ物の奪い合いで喧嘩をしようが、大人たちは何も言わなかった。というか、自分たちの食事時間に集中していて、子どもにまで目が届かなかったのだと思う。
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(縁側から金魚に水をあげている?)

縁側はペットとたわむれる場所でもあった。実家では代々犬を飼っていたが、犬を室内に入れることは決して許されなかった。祖母が大の動物嫌いだったからだ。それでも縁側まで上げることは何とか許されていたので、犬の飼い主である妹は、縁側で犬に餌をやり、遊び、ときにはおなかを枕に昼寝をした。
文鳥や九官鳥の鳥かごも縁側に出していたが、あるとき、庭に忍び込んだ猫に文鳥のつがいが食べられて以来、私たちと遊ぶとき以外鳥かごは室内に入れるようになった。縁側の先には大きな金魚鉢があり、夜店でもらった金魚が巨大化して悠々と泳いでいた。だが、金魚もまた格好の猫の獲物となる。見張っていて、近づいてくると追っ払うのは子どもの役目だ。縁側は子どもにとって、外の世界の危険なものからペットという「家来」を守るための最前線基地の役割も果たしていた。
縁側に沿って祖母は花壇をつくっていた。夏には朝顔が植えられ、梁にかけた紐を伝って蔓が2メートル以上伸び、秋口まで大輪の朝顔が楽しめた。祖母はバラなんか好きじゃなかった、と思っていたが、アルバムの写真を見たらバラも植わっている。だが、何と言っても祖母のお気に入りは芙蓉で、初夏から何種類何色もの芙蓉が花壇を彩った。
籐椅子の祖母に、花壇の花の話をいろいろと聞かされたのもなつかしい思い出だ。今でも覚えている花や草木の名前は、ほとんどが祖母から縁側で教わったものだ。
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(祖母が大好きだった縁側脇の芙蓉の花。この写真はどうやら縁側の板張りを張り替えるために撮ったらしい)

夏休みには縁側に置かれたちゃぶ台で絵日記を描き、図書館で借りてきた本を読み、昼寝をした。近所の友だちが遊びに来ると、庭でゴム跳びや縄跳びや陣取りをして遊び、おやつになると勝手に冷蔵庫からアイスを出して縁側で食べた。ときには、縁側にゴザを敷いておままごとをした。縁側は、私たち子どもが主役となって友だちをもてなす社交場でもあった。
今振り返ると、縁側はとても特殊な空間だったと思う。室内ではなく、屋外でもない。ウチとソトをつなぐ場所であるが、ウチにもソトにも属さない。言ってみれば「エンガワ」という独立した場所、子どもにとっての王国だった。
子どもの私にとって、縁側は親や大人から解放され、家の中で唯一勝手気ままに振る舞える場所だった。大人の視線は届いても、大人の支配は及ばない。子どもにとっての一種の治外法権が縁側にはあった。大人の世界に守られていたが、自分たちの独立した世界が構築できる場所。子ども部屋にはない自由と安心感が縁側にはあった。
だから、何か内緒にしたいことがあれば、もしかしたら親がのぞくかもしれない勉強机の中ではなく、縁の下に隠した。点数の悪かったテスト、嫌いなおかず、こっそり買った漫画本、ビーズ、消しゴム、紙石鹸、ブロマイド、などなど。内緒で拾ってきた犬をかくまっていたこともある。

実家を出てから10回以上引っ越したが、どの家にも縁側はなかった。私の娘たちはどうやって親に保護されている安心感を持ちながら、親の支配を免れる「子どもの王国」を確保していたのだろう?