妹は動物好きだ。子どもの頃からさまざまな動物をペットとして飼っていた。鳥はカナリアや文鳥をつがいで飼って雛をかえしていたし、学校が休みのときはクラスで飼っていた九官鳥を家に連れ帰って世話をしていた。
金魚も飼っていたが、すべて近所の商店街の金魚屋さんがやっている金魚すくいで妹が「稼いできた」ものばかりだった。いま記憶をたどってみても、はたしてそこが「金魚屋」だったかはわからないのだが(駄菓子屋だった?)、店先には真冬以外、金魚の水槽が出ていて、夜店に行かずとも金魚すくいが楽しめた。代金は1セット10円、100円で11枚綴りの券が買えた。小学生だった私たちの1ヶ月のお小遣いは300円だったから、たったの数分で終わってしまう金魚すくいはたいへんに贅沢な娯楽だったといえる。
ところが妹は、ほとんど「ただ」で毎日のように金魚すくいを楽しんでいた。金魚屋は、10匹すくうと金魚1匹、もしくは1枚券をプレゼントしてリピーターを増やそうとしていた。妹は1ヶ月分のお小遣いをつぎこんで毎日のように練習し、たちまち腕をあげて、すぐにやすやすと10匹すくってはもう1枚券をもらうまでに上達した。1ヶ月後には、毎日ただで金魚すくいがやれるまでの腕前となり、「金魚すくいあらし」の異名をとったのだった。
金魚屋のおばさんは内心閉口していたのかもしれないが、妹が友だちを連れてきたこともあって「特待生」として扱ってくれた。そのうち金魚すくい用の水槽にいる金魚ではなく、店の奥から特別に出してきた丈夫な金魚を分けてくれるまでの特別扱いとなり、家の瓶にはひたすら巨大化する立派な金魚が泳ぐようになった。

鳥と金魚程度までは許可が下りたものの、犬を飼うまでには紆余曲折があった。祖母が犬嫌いだったし、母もペットにまったく興味がなかったからだ。
だが、父が犬好きだったことから、妹の「犬を飼いたい」という懇願についに母や祖母が折れ、ある日紀州犬が我が家にやってきた。
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真っ白い優美な姿から、紀州のお姫様犬だね、ということで「多鶴(たづ)」と命名。血統書まで付いていたので、さぞかし品と行儀のいい成犬となり、立派な番犬となるだろうと期待は高かった。
ところが、である。躾をしなければ、血統書なんか何の意味もない、ということを私たちはすぐに思い知る。裏庭に立派な犬舎を作ってもらったたづは、やがてそこで惰眠をむさぼるばかりになる。学校から帰って、さあ、散歩に行こうと犬舎に行くと、木でできた屋根付きの犬小屋から、半身をコンクリ床の方に出して眠っている。寝相が悪いから、起き上がっても手足が痺れているらしく、すぐには歩けなかったりする。だから犬舎から私たちを見て尻尾は振るものの、すぐに駆け寄ってくるわけではない。
ようやく手足のしびれがとれるやいなや、今度は一気にハイテンション。犬舎の中で何とか鎖をつけるものの、いったん外に出たとたん、私たちを振り切って裏の畑に突進。祖母が丹精して育てている野菜畑を縦横無尽に駆け回り、用を足して気持ちが落ち着くと、鎖をジャラジャラ言わせながら戻ってきて「さあ、外に行こう!」と催促する。その時点で私たち姉妹は、今日はたづはどんなことをやらかすだろうか、とすでに不安に駆られるのだが、やむなく鎖をとって外に出る。
たづは最初の10分は鎖を、というか、私たち姉妹をめいっぱい引っ張って、「早く、早く、あっちに行こう! いや、こっちだ!」と振り回す。白目をむき、舌を出して、ゼーゼーゼー言いながら全身で私たちを引っ張る、いや、引きずるのである。さほど人通りはないとはいえ、一応は公道。たまに人と行き交うと「あらあら、ワンちゃん、そんなに引っ張られてずいぶん苦しそうね」とか言われる。違うっ! 引っ張られているのは私たちだ! と言いたいところだが、そんな余裕はなし。思春期まっただなかの私たちはたまらなく恥ずかしい。優雅に犬を散歩させている令嬢たちでいたいのに、犬に引きずられまくってオタオタしているガキだ。血統書が聞いてあきれるよ! いや、躾がまったくできなかった私たちがいけないのだが。
ところが、である。たづは自分も犬のくせに犬嫌いなのだ。というか、犬が怖いのだ。むこうから犬がやってくると、先ほどまでの勢いはどこへやら、いきなりしおしおと私たちのかたわらにやってきて、横目で相手の犬をチラチラ見ながら影に隠れようとする。尻尾は完全に下向き。自分よりずっと小さい犬にまで怯えて、こそこそと電信柱の影に隠れてやり過ごそうとする。
吠えられでもしようものなら、もうたいへん。私たちを見上げて、「ちょっとぉ、あの犬、私に向かって吠えてるんだけれど、叱ってやって」と言わんばかりにからだをすり寄せる。もうっ、根性なしっと腹が立つが、実は私も犬がこわいのでやむなくしゃがんでおんぶしてやるのだ。
子犬だったとき、大きな犬に吠えられて、怯えるたづをおんぶしたのが大きな間違いだった。しかも、おんぶした私が、たづの代わりに吠えてきた犬に吠え返したのだ。
相手の犬、私の吠え声に衝撃を受けてしばし沈黙。犬の飼い主も仰天。
若き乙女 犬をおぶって 犬と吠え合う
お粗末、っていうかなんの冗談か!
以来、吠えられたら私たちがおんぶしてくれる、と思い込んでしまったお犬様。子犬のときはともかく、成犬になってからのおんぶはかなりきつい。しかも、おんぶされたとたんに気が大きくなって、いきなり相手の犬を威嚇したりする。まさに虎の威を借る犬。私の肩に前足を食い込ませ、伸び上がって「ウウウウウ」と歯をむき出すとか、いったい何様? 襲いかかられたらこっちはどうしたらいいんだよ。たいていは相手の犬の飼い主がそそくさと犬を連れて行ってくれるから助かるのだが、もう恥ずかしいったらない。
そのあたりで私たちはもうヘトヘトであるが、まだ最後の難関が待ち構えている。そろそろ帰路につく、とわかったとたん、たづは道路に寝そべるのである。しかも道路の真ん中に、ドタッと寝転ぶのだ。おなかを出してあられもない姿で。車が来ると、私たちは二人がかりで道路脇まで引きずる。犬、起き上がる気配なし。引きずったまま家まで帰るのだが、途中で「あら、ワンちゃん、かわいそう」とか言われること数回。いちいち大声で、「もう十分散歩したでしょ」「家に帰ってご飯食べよ!」と声をかけるものの、どこ吹く風。「あたしは帰りませんからねっ。何があっても帰りませんからねっ」」とばかりに引きずられていく。
 そんな調子だったから、私は散歩に行くのを渋るようになり、妹1人に世話を任せるようになった。たづは次第に家族の中で忘れられた存在になり、やがて父が転勤して徳島に行くと、たづは父の実家に引き取られた。余生はどうだったのだろう。そのときには私はもうたづのことなどすっかり忘れ、東京で大学生活をエンジョイ(死語)していた。
 結論と反省:たづには本当に気の毒なことをしてしまった。私はもう一生犬は飼わないし飼えない。というか、私はペットを飼うのではなく、飼われるタイプである、と悟った。
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