先日、お孫ちゃん2号が誕生し、今日からまた我が家は5人家族です。なかなか夫婦二人暮らしを満喫する、というわけにいかず、しばらくはまたおばあちゃん稼業にも精を出すことになりそう。ある意味、本当にありがたいことだと感謝していますよ、はい。この少子化の時代に、すでに孫2人。まだまだじいちゃんばあちゃん元気で現役で、孫の面倒も見られるのだから、この幸せを噛み締めなくちゃね。
とはいうものの、孫が何人生まれようが、私たちがこれから心身ともに老いていくことは確実です。いくら若作りしたってダメ。孫一人につき5歳若返るってわけにはいかない。
今年は実家の片付けと処分に奔走したのですが、そのときにしみじみ思ったのが、「我が身の始末をつける年齢に入った」ということでした。老後、なんてずいぶん遠い先のことのように思っていたし、まだ10年以上現役で働き続けるつもりではありますが、それでも始末をつけねばならない年齢になっているのはまちがいのないところです。私も確実に老いていき、その先には死が待っているのです。若いときは死ぬのが怖かったし、考えることさえもタブーにしていたところがありますが、孫が生まれ、親が亡くなり、生まれ育った家を手離すというこの4年ほどの変化の中で、私と死との距離はぐっと近くな理ました。
以前に比べると、死ぬこと自体はそれほど恐ろしくない。恐ろしいのは、始末をつけないで死ぬことです。
始末をつけるとはどういうことか? いつ死んでもいいように、身辺を整理することだと今の私は思っています。いつか読むから、いつか仕事に役立つはずだから、と思って大量の書籍を手放さずにいたのですが、その「いつか」はもうたぶん来ないのです。 あとみっちり働けるのは10年もない。その間に「役立つ」本はそれほど多くありません。そしてもし私が明日死んだら、この本の始末に苦しむのは子供や孫でしょう。
似合わなくなっても、(体形が変わって)着られなくなっても、もったいないからとクローゼットにしまっておいた服も始末しなくてはなりません。今、似合わず、今、着られない服はもう一生着ることがないのです。
今はまだお客さんも来るし、娘たち家族が集まってにぎやかにわいわいやる機会があるから、食器もそれなりに揃えていますが、あと10年もしないうちに不要になるでしょう。好きで集めていた食器、テーブルクロス、キッチン用品なども、始末をする時期が早晩やってきます。
母がいま介護ケア付きホームに入っているのですが、持っていける身の回りのものはほんのわずかだし、わずかですんでいることで母は精神的に穏やかです。たくさんのものを持つ、持ちたいという欲求は、せいぜい70歳までではないか。
身の回りのもの、そして自分自身の始末をつけること。それがこれからの私のテーマなのだと思います。何かを残そうとするのでなく、これまでのことを少しずつ消滅させていくこと。子供や孫に自分の始末の負担をかけないこと。実家の始末を終えて、2人目の孫が生まれた今、そんなことを強く感じています。
とはいうものの、孫が何人生まれようが、私たちがこれから心身ともに老いていくことは確実です。いくら若作りしたってダメ。孫一人につき5歳若返るってわけにはいかない。
今年は実家の片付けと処分に奔走したのですが、そのときにしみじみ思ったのが、「我が身の始末をつける年齢に入った」ということでした。老後、なんてずいぶん遠い先のことのように思っていたし、まだ10年以上現役で働き続けるつもりではありますが、それでも始末をつけねばならない年齢になっているのはまちがいのないところです。私も確実に老いていき、その先には死が待っているのです。若いときは死ぬのが怖かったし、考えることさえもタブーにしていたところがありますが、孫が生まれ、親が亡くなり、生まれ育った家を手離すというこの4年ほどの変化の中で、私と死との距離はぐっと近くな理ました。
以前に比べると、死ぬこと自体はそれほど恐ろしくない。恐ろしいのは、始末をつけないで死ぬことです。
始末をつけるとはどういうことか? いつ死んでもいいように、身辺を整理することだと今の私は思っています。いつか読むから、いつか仕事に役立つはずだから、と思って大量の書籍を手放さずにいたのですが、その「いつか」はもうたぶん来ないのです。 あとみっちり働けるのは10年もない。その間に「役立つ」本はそれほど多くありません。そしてもし私が明日死んだら、この本の始末に苦しむのは子供や孫でしょう。
似合わなくなっても、(体形が変わって)着られなくなっても、もったいないからとクローゼットにしまっておいた服も始末しなくてはなりません。今、似合わず、今、着られない服はもう一生着ることがないのです。
今はまだお客さんも来るし、娘たち家族が集まってにぎやかにわいわいやる機会があるから、食器もそれなりに揃えていますが、あと10年もしないうちに不要になるでしょう。好きで集めていた食器、テーブルクロス、キッチン用品なども、始末をする時期が早晩やってきます。
母がいま介護ケア付きホームに入っているのですが、持っていける身の回りのものはほんのわずかだし、わずかですんでいることで母は精神的に穏やかです。たくさんのものを持つ、持ちたいという欲求は、せいぜい70歳までではないか。
身の回りのもの、そして自分自身の始末をつけること。それがこれからの私のテーマなのだと思います。何かを残そうとするのでなく、これまでのことを少しずつ消滅させていくこと。子供や孫に自分の始末の負担をかけないこと。実家の始末を終えて、2人目の孫が生まれた今、そんなことを強く感じています。
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