「92歳のパリジェンヌ」という映画をWOWOWで鑑賞しました。
http://gaga.ne.jp/92parisienne/
https://youtu.be/oGCR31dTcQY

フランスのジョスパン元首相のお母さんをモデルにした実話だそうです。
原題は"La Derniere Lecon"最期の教え。作家である娘が実の母の死について書いています。日本語のタイトルは思いっきり外していて恥ずかしい。中身はシリアスな「死に方」、それ以上に「生き方」についての話です。
92歳になって一人暮らしをしている女性が、「一人でできること」がどんどん減っていく中で、生きる意味を考え始めます。そして娘と息子とその家族に囲まれての92歳のバースデイパーティの席で宣言するのです。
「私は10月17日(2ヶ月後)に死ぬことに決めました」
大ショックを受ける家族たち。とくに息子は「なんてことを言うんだ! 老人性のうつ病だ。薬を飲め」と大反対します。男(息子)にありがちですよね。薬をはじめとするお金で人生の負の部分を解決しようとするっていうのは。自分が介護「できない」(介護をする能力がない)ことを受け入れられず、後ろめたいもんだから、自分が「できる」こと、つまり、経済力でなんとかしようとする。それはともかく。
最初はショックを受けて反対していた娘ですが、母に寄り添ううちに、「もう十分に生きた。みんなに迷惑をかけずに、自尊心を損なわれない形での死を選びたい」という気持ちを理解するようになります。
92歳の女性は助産師で、産む性としての女性と子どもを支えることを自分の使命とし、80歳を過ぎてからもアフリカに出かけて、当地の女性たちの出産指導を行ったりしていたらしいことがしだいにわかってきます。夫がいきている間にも、別に男性として愛する人がいて、アフリカから帰国したその足で愛人に会いにいったりしていたらしい。その男性に別れを告げにいくシーンもすごく素敵。
というストーリー説明ではなく、この映画を見ながら私の心に突き刺さったのは「気力が失われる前に死にたい」という一言でした。からだの自由がきかなくなること以上に辛いのは、気力が失われること……。わかります。階段をのぼるのが辛くなる、歩くのがよたよたして遅くなる、視力や聴力が失われていく、そういった体力面での衰え以上に「何もやる気がしなくなる」という気力の衰えが私は怖いのです。
老化、ということを最近意識するようになっているのですが、何が決定的な老化の始まりかといえば、それは「面倒臭い」と感じることだと思うのです。仕事だけでなく、家事や趣味で、それまではりきって取り組んでいたことが「面倒臭い」とやめてしまう、それが老化の始まりではないか、と思います。
仕事や家事で少しずつ「もう面倒だからやめちゃおう」ということが増えていき、そのうちからだが思うように動かなくなることで「着替えるのが面倒」「外出するのが面倒」へと進み、最後は「食べるのが面倒」「トイレに行くのが面倒」となって、究極は「ただ息をしているだけ」となってしまう。
映画を観たあと、私は常に持ち歩いている取材スケジュール帳を取り出して、各月のはじめのThings To Doリストにしっかり書き入れました。
「やりたいことをやる! 行きたいところに行く! 会いたい人に会う! 明日ではなく、今日」
やりたいことがいっぱいあるように、行きたいところがいつも思いつくように、会いたい人が大勢いるように、来年もはりきって生きて生きたいです。