キプロス島について書かれた日本語の本で、簡単に入手できるものは1冊しかありません。
「キプロス島歴史散歩」 澁澤幸子著 新潮選書
最初は図書館で借りて読んだのですが、ガイドブックがほとんどない以上、これを持っていくしかないと古本で買いました。ちなみにAmazonで1冊だけ残っていた新刊を購入していたのは、なんと北キプロスまでCONIFAの会議に出席したいと単身やってきた大学生O君でした。O君、きみはすごい! 生まれて2度目の海外旅行で北キプロスに1人でやってくるなんて! しかもその目的がCONIFAの総会に出席するためだなんて! 私もCONIFA紹介記事を書いてきた甲斐があったというもの。「日本から一人でやってきたんだよ! CONIFAに関心があるからっていう理由だけで、15時間ほどかけて自腹でやってきたなんてすごくない?!」と紹介するとCONIFAメンバーはもう大喜びで、大歓迎されていました。北キプロスで私よりはるかにもてはやされていたO君。CONIFAアジアの未来を託したいと思ったくらいです。
さて、会議終了後、O君と1日半キプロスを観光しました。レフコシャにある「国境」を越えて南のニコシアに行って、キプロス・リーグの試合をテレビ観戦したり、西にある「リゾート地」ガジマーウサ(ファマグスタ)に乗合バスで行ったり、と連れ(しかも男の子)がいるおかげで1日半の観光も充実したものとなりました。
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(北キプロス側の街、レフコシャでは壁面に「アート」が描かれている家や店舗がたくさんありました。それを見てまわるのも観光のお楽しみ、のようです)
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(でも、まあ北キプロス側のレフコシャの街並みはこんな感じ。中心部でも)

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(「国境」も二人で越えればこわくない。そして国境を越えて南のニコシア側に入ったとたん、このにぎわい)
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(パフォーマンスをしているお兄さんを囲む観光客も気前よくお金をあげてました)

その後訪れたキプロス島の西側にあるアンタルヤの観光でも思ったのですが、「遺跡をあまりにも無造作に放置している!」
まずは「遺跡放置状態」だったガジマーウサ探訪からです。ガジマーウサ、もしくはファマグスタと呼ばれる町は、ぎりぎりで北キプロスに入っている島東端にある町です。かつては島の中心地だったところです。紛争終了後に町のギリシャ系住民は南側に、南のトルコ系住民は北側に強制移住させられたとか(以後、情報は「キプロス歴史散歩」よりの引用です)南北に無理やり分けられたんだなあ、という痕跡も街のあちこちにありました。
町が作られたのは紀元前285年、アレクサンドロス大王没後のヘレニズム時代にエジプトに誕生したプトレマイオス朝がキプロスを領土としたとき、ガジマーウサの前身となるサラミスに都市を築いたそうです。ローマ時代には北のギルネと並んで、サラミスはローマにワイン、銅、オリーブなどを輸出する貿易港として大いに繁栄したとか。ローマ時代からビザンティン時代の初期まで、キプロスの中心地はサラミスだったそうです。
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(地中海一繁栄していた交易港のおもかげはいまはなし@ガジマーウサの港で)

その後エルサレムからユダヤ人が住み着き、コンスタンティウス帝(337−361年在位)が町の名前をコンスタンティアとして復活させたり、647年にはシリアを支配していたウマイヤ朝の攻撃に晒されたり、12世紀にはトルコに迫害されたアルメニア人が移住して現在のガジマーウサの基盤を築いたり、とつぎつぎと外敵に狙われるのですが、最も繁栄させたのは十字軍です。ガジマーウサは聖地エルサレムを訪れる巡礼者や商人の中継地隣、地中海ナンバーワンの交易センターとして繁栄しました。
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(バスが終着地、ガジマーウサに到着するなり目に飛び込んでくるのはヴェネチアが支配していた15世紀末に築かれたこの城壁跡。テンションが↑)
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(城壁内にはコミュニティの人々が集まって協議をしたであろう会議室とか、交易している品々を保管していた倉庫とか、迷路のようなところに宿泊施設などがありました。しかし、長く放置状態でつい最近になってこの遺跡の重要性に着目したヨーロッパが、大々的な修復に乗り出したとか)
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(ヴェネチアの紋章であるライオンのレリーフが刻まれているオセローの門。オセローっていったい??と思ったけれど、もしかしてイギリスが植民地にしていたときにシェークスピアの影響で命名したのでしょうか?)
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(城壁内の旧市街には人々の暮らしがあります。トイレを借りてチャイを飲んだカフェにはご近所らしきおじいさんが店番をしていました。っていうか、店の人はいったいどこに行ったんだよっていうくらい、人がいない閑散とした通りでした)
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(写真上:キプロス島はどこにいっても猫だらけ。歩いている人よりも歩いていたり寝ている猫の数のほうが多い! カフェでもお客さんのかわりに猫が座っておりました。
写真下:オスマン・トルコ帝国支配時代に帝国にたてついたムスタファ・ケマルが幽閉されていた地下牢への入り口はこちらでございます。ケマルは建国の父と広場に銅像が建っていましたが、人気は今ひとつで近代トルコ建国の父はやっぱりアタチュルクらしいです)
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(閑散としているガジマーウサ旧市街ですが、こういう雰囲気のある路地が見受けられるということは、おしゃれな人も住んでいるのでしょうか?)
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(最後に、乗合バスです。レフコシャからガジマーウサまでは40分と言われたけれど、停留所があるともないとも言える箇所で何回も停車して、学生さんが大学前で降りたり、通院しているらしきおじさんおばさんが病院前から乗り込んだり降りたりしているので、結局1時間以上かかりました)

アンタルヤの遺跡についてはつぎのエントリーで。