私は年がら年中、四六時中「からだ」のことを考えています。
 とは言っても、健康に気を配っているというのではありません(健康オタクを自認してはいますが)。鏡の前に立つたびに「太ったかな?」と怯えと焦りに苛まれ、「痩せたかな?」とほくそ笑むのは、すでに半世紀にわたって私の日常的「思考習慣」となっています。思えば私は、自分のからだに満足したことがありません。太っている・痩せているというだけの問題ではなく、からだの隅々までが気に入らない。四六時中考えているといっても、「あそこがいやだ」「ここが嫌いだ」とマイナス思考に悩まされているというのが本当のところ。
 思えば物心ついたころから、私はずーーーっとからだのコンプレックスに悩まされてきました。だんご鼻、広い肩幅、手足の太さ、バストとヒップのでかさ、すぐに出るじんましんやニキビ、でか足(24.5センチ)、毛深さ……からだの隅々まで嫌なところばっかり。「神さまはなぜこの(微妙に醜い)からだを私に与えられたのか?」と若いころは真剣に悩み、「お金を稼いで整形したい」と結構本気で思っていました。
 ところが、昨年実家を片付けたときに出てきた昔のアルバムを見ると、私はどの年代でも太ってはいないのです。63歳の視点で13歳(からだコンプレックスに悩み始めていたころ)や20歳(デブ真っ盛りと思っていたころ)の私を見ると、「あれ? 結構イケてる(死語)じゃないか」と拍子抜け。なんだかとっても時間と労力を損した気になってきました。(ここでお恥ずかしながらそのころの私の写真を公開しておきます。14歳と20歳のころです)
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 なぜあんなにも自分の「からだ」が嫌いだったのでしょうか? うじうじと悩み続けた「からだコンプレックス」とはいったい何だったのか? お尻が大きいから、脚が太いから、毛深いから、ダンゴ鼻だから、ニキビが出ているから、だからだから私は男の子にモテないんだ〜〜〜!!! と思い込んでいたけれど、違いましたね。からだコンプレックスに苛まれて暗かったから、モテなかったんです。
 と前置きが長くなりましたが、これから何回かに分けて「からだ」のことを書いてみたいと思います。あとどれくらいでこのからだとのつきあいが終わるかわかりませんが、これまでのコンプレックスを清算して、これからは自分のからだをもっと好きになって、仲良くしていきたいのです。
 私の思春期はフェミニズム=女性解放運動の幕開けと同じくらいの時期(1960年代後半)に始まりました。「女性が自分のからだを自分でコントロールするようになった時代」です。それから半世紀。女性たちは自分のからだから解放されたはずです。でも、娘たちを見ていて思うのは、女の子の「からだコンプレックス」は私の時代とあまり変わっていない。なぜなんだろう? なぜもっと自分のからだと素直に向き合えないのだろう? そんな歯がゆさも含めて、からだを振り返ってみたいと思います。