自慢じゃないが、私の足は見事なくらいの台形だ。指を広げると、かかとの幅の3倍近くに広がる台形。しかも多少小指のほうに傾いているとはいえ、親指の先端と小指の先端を結ぶとほぼ水平に広がっている。その上、甲が盛り上がっている。足の長さは24センチを切るのだけれど、最低でも24.5センチの靴でないと履けない。靴の形によってはそのサイズでもまったく入らないことがある。ポイントトゥと言われる先端がとんがっているヒールなんて、どれだけサイズをあげようがハナからお呼びじゃないし、繊細なデザインの靴も入らない。つまり、成長してからこのかた、違和感なくはける靴がほんっとに見つからないのである。だから靴屋は大っ嫌いだった。
 バーナード・ルドルフスキーという文化人類学と建築学の研究者が書いた「みっともない人体」という本が、ファッションにかかわっていた1980年代に私の愛読書だったのだけれど、そこでヒトの足の形は靴の形とはちがうという指摘があった。靴(片方だけ)は中指を頂点として左右対称につくられているが、実際の人間の足は小指方向に傾斜している。つまり、形が違うところに無理やり押し込んではくのが靴、という話だった。
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 この本を読んだのは、25歳のとき。目からウロコだった。な〜んだ、靴の形って人間のからだを無視して作られているんだ。そう思うと気が晴れた……わけがない。だって、世の中のファッション性が高い靴は、私にとっては「根性試し」でしかないのだから。星飛雄馬の鉄下駄と共通している。鉄下駄で鍛えられるのは根性とともに足腰だろうが、おしゃれ靴では見栄っぱりに徹する根性は鍛えられても、足腰はボロボロになる。
 「おしゃれ(女)やめますか? 血豆作って腰痛に耐えますか?」の二者択一を迫られて、25歳の私が選んだのは、当然「女を貫き血豆まみれ」の道である。というか、1980年代初頭には、そもそも靴屋に「女やめてもいいですよ」の靴は並んでなかった。年頃の女は当然のように「血豆、腰痛」を選ぶものと決めつけられていた。
 その後、ファッションがどんどんカジュアルになっていって、「着心地」がファッション性につながる時代がやってきた。80年代後半からは日本人デザイナーが世界(といっても西欧のパリとかミラノ)に認められるようになり、日本人の体型にあった(でもこのころには日本の女性の体型は見事に欧米化していたのだが)服がブームになった。それにともない、何も無理してヒール履く必要ないじゃん、脚が短くたっていいじゃん、ということでローヒール、もしくはスニーカータイプの「履きやすい」靴がどんどん市場に出回るようになり、私の足もしだいに血豆から解放されていったのだった。
 1980年代からは市民マラソンに参加する人が増加するなどランニングブームがやってきて、その影響かスーツにスニーカーで通勤しても許されるようになった。私が1982年にニューヨークを訪れた際、ウォール・ストリートを歩いている「私、ばりばりキャリアウーマンどすえ(なぜか舞妓口調)」という女性たちが、スニーカーにスーツだったことに驚いた記憶がある。たぶん会社の中ではヒールに履き替えていたのだろうが、少なくとも通勤中は当時からスニーカーOKだったのだ。
 1980年に第一子が生まれ、抱っこ紐とバギーで通勤途中に子どもを保育園に預ける生活が始まっていた私は、そのさっそうとしたキャリアウーマン(今となっては死語)にお墨付きをもらった気がした。今は女より母と仕事だ。何も痛くて危ない靴を履くことはない。ダサいと言われたらこう胸を張ろう! 「ニューヨークの女性はね、スニーカーで出勤していたよ」。鼻息荒く「ではのうみ」となって寄り切り、寄り切ったのはいいが、私の靴はどんどん草履か長靴に近くなっていった。
 あのころ私が履いていた24.5センチのローファーは男物の無骨な靴と変わらない。そのうち男女区別無しのブランドで購入したワーキングブーツなんか履いちゃったりもした。マンションの狭い玄関に脱ぎ捨てたそのワーキングブーツを見て、遊びに来た娘の友だちが「お父さん、消防士さんなの?」と聞いたのも、今となっては、笑い話……いや、今も笑えないね。
 世の中には私のような「デカ足の悩み」を抱えている女性が大勢いるんだ、ということに気づいたのは、遅まきながら次女が中学に進学したときだった。次女、かわいそうに私とまったく同じ甲高段広。しかも25センチも危ういというデカ足なのだ。中学入学と同時に、体育館履き用にダンスシューズを買わされたのだが、サイズお試し用に並んでいた中に娘が履ける靴はなかった(涙)。そこでうっかり私が「あら、サイズがない、25センチか25.5センチのお取り寄せお願いします」とか大声で口走ったことが、思春期の次女を大いに傷つけてしまった。
 ところがある日、次女が顔を輝かせて学校から帰ってくるなり私に報告した。
「○○ちゃんも、△△ちゃんも25センチ以上なんだって! みんな履く靴がなくて困っているって。今度みんなで大きめの靴を買いに行くことにした!」
 そして私は娘に教えられた。クラスの4分の1が24.5センチ以上であって、いまやデカ足は「標準サイズ」になりつつある、と。25センチサイズでも、探せば「かわいい」靴があるのだ、と。
 それでも甲高段広のデカ足に合う「かわいい」靴には巡り合わないものらしい。娘も「かわいい靴」を履く誘惑にまけて「血豆と腰痛」を選択し、かつ外反母趾も併発(?)しているとか。 
 靴で悩み続けたせいかどうか、ここ10年ほど私はすっかり「靴フェチ」となっている。「かわいい靴」を見て、とりあえず足が入ったら、もうね、買っちゃうの。女はとっくの昔(5年くらい前)に捨てたけれど、残り少ない人生、かわいい靴が履ける体力と気力がある間に履いちゃうの。
 そんな私の、デカ足コンプレックスに端を発した「靴フェチ」心を刺激した靴を何足か披露しておきます。お気に入りの靴には男性の名前をつけることにしています。履くたびに、「グレゴリー、今日はどない?(ぐりぐり)」とか「アントニオ、今日も私と踊ってね(どたどた)」と声をかけて、ちょっと淫靡な気分に浸ったりして。
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 お気に入りの靴の一足、グレゴリーです。「トーガ・プッラ」というブランド。
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こちらがアントニオ。「ユナイテッド・ヌード」というブランドです。