運動がまったくダメダメで、運動コンプレックスにも悩まされ続けた私が唯一「これだけは得意!」と胸を張れる運動、それが水泳だ。なぜか、泳ぐのは得意だった。特に平泳ぎ(と1960年代は言っていたのだよ、若者諸君)は得意中の得意だった。かけっこや縄跳びやゴム弾飛びがどれだけ教えられても努力してもできないのに、なぜ平泳ぎだけは教えられもしないのにできたのかは謎である。ともかく、小学生のときから夏休みになると町営プールが主催する水泳教室に日参した。
 私が中学2年のときに学校にプールができ、「水泳部」が創設されると、迷いなく入部した。対外試合にも「遠征」して、「ブレスト」と名前を変えた平泳ぎ部門ではそこそこの成績をおさめた……という記憶があるが定かではない。成績はともかく、プール開きの7月からプール仕舞いの9月まで、生理のとき以外はほぼ毎日泳いでいたから、もう日焼けで真っ黒で、冬場の筋トレのおかげで筋肉もりもりだった。
 高校1年のある夏の夕暮れ、家族(当時は10人以上いた)で 食卓を囲んでいたところ、父が短パンからむき出しになっていた私の太ももに見て、こう言ったのだ。
「 えっらいたくましいなあ。女の子の太ももやないぞ。水泳選手になるわけやないんやから、ええ加減にしとけや。嫁の貰い手なくなるぞ」
 旧制中学時代に水球の選手だった父だから、娘の水泳も奨励しているにちがいない、と思い込んでいた。だが、そのとき気づいた。父はがっしりした筋肉もりもりの体型の女は好みではないのだ。女はほっそりとたおやかな、つまり母のような体型の女性が好きなのだ。母はまっすぐの細い脚で、お尻も太ももも丸みこそあれ、筋肉なんか見当たらず、まるで竹久夢二が描く女性の「やなぎごし」そのままの足腰だった。つまり、体型だけをとれば私とは似ても似つかなかった。父にとって「女らしさを表す体型」とは、母のような「骨? 筋肉? それなんでございますの? わたしのからだはマシュマロでできていますの、ほほほ」の竹久夢二タイプだったわけだ。
 だが、女の子たちが憧れる体型はちょっとちがったと思う。1964年東京オリンピック後、女性、特に中高生女子の間に空前のスポーツブームが起こっていた。「アタックNo1」「サインはV」というスポ根ドラマを食い入るように見ていた女子は数多く、もちろん私もその一人。部活も体育会系が人気で、からだを鍛えて根性を鍛える、というのが流行りだった、と思う。
 私が憧れた水泳部のI先輩は、細身で背が高かったけれど、筋肉質で全身バネのようだった。顔立ちはもはや思い出せないのだが、引き締まったウエストからお尻と太ももがぐっと張り出し盛り上がっていた後ろ姿は脳裏に刻まれまくっている。たしか上に2人のお兄さんがいる末っ子で、「アニキらにはぜったい負けたくないねん、勉強も運動も」と言っていて、性格は男っぽく親分肌だった。女子校の女子が、擬似男子として憧れる要素を兼ね備えていたI先輩。「ああ、I先輩のような体型になりたい」と私がうさぎ跳び(当時はうさぎ跳び校庭一周とか平気でやっていた)やハシゴ車(両足を持ってもらって腕で歩く)に必死になったのも無理はない。
 父に太ももを全否定されるくらいどうってことなかったが(いや、今も記憶しているくらいだから結構堪えたのだ、ほんとは)、思春期女子にとっては、笑えない否定があった。ジーンズである。1960年代からジーンズが大流行。男性も女性も若者である証明はジーンズをはくこと、といってもいい時代だった。ところが、である。私の太ももは売られているジーンズを受け付けなかった。ジーンズサイズ27が「標準」という中で、私は29でもきつい。無理してはくと太ももの血管が圧迫されて苦しい、という状態。膝まで入っても、それ以上は上がらないジーンズを前に、試着室で人知れず涙を流した(半分嘘)。
 ちょっとここで今の若い人たちには信じられない話をしておくと、1960年代、70年代には「ズボン(今でいうパンツ、ジーンズを含む)をはくのは女らしくない」として娘にパンツ着用禁止令を発布している家庭が多かった。関西の私の家庭は結構リベラルだったと思うのだが、それでも「山登りに行くような格好で街中に出るな」と街に出かけるときには親からパンツを禁止されていた。そんな禁止令は私の時代で終わったかと思いきや、1990年代、制服のない女子校に通っていた娘が「○○ちゃんの家では、お父さんがパンツをはくのを禁止しているからいつもスカートで、痴漢にあって辛いと言っていた」というのを聞いて驚いた。それは例外にしても、そうです、少なくとも1980年代末くらいまでは「ちゃんとした家庭の女の子は街中でパンツなんか履くもんじゃない! レジャー(死語)のときは別にして」というわけのわからない「教え」が日本に流布して居たのですよ、みなさん。
 でも、私は別に親から禁止されているからではなく、ジーンズやパンツのほうが私を拒否していたためにパンツが履けなかったのだ。私にも履けるジーンズが市場に出てくるのは、ストレッチ素材が普及した1980年代になってから。筋肉モリモリではなくなったけれど、贅肉はしっかりとついて太さは中高生のころと変わらない私の太ももでも、やさしく包んでくれるジーンズやパンツが市場にあふれてだした1980年代以降、私のワードローブの基本は「パンツ」になった。
 太ももが横に張り出している体型は、実は日本人特有と聞いたことがある。たしかなデータがあるわけではないので、あくまでも伝聞だ。ジーンズを履くとき、どこで引っかかるかというと、日本女性は太もも、欧米女性はお腹と聞いた。そうか、やっぱりね。私だけじゃなかったのだ、この太もも。
 太ももの太さは変わらないのだけれど、最近はこの太ももに感謝もしている。なぜなら、太ももこそからだを支える重要な筋肉の塊、と聞いたから。80歳を過ぎるころから次第に歩行がむずかしくなってきた父の体型で、もっとも顕著に変わったのが太ももだった。水球やゴルフで鍛えてぱんと張っていた太ももが、みるみるうちに細くなり、それとともに歩行が難しくなった。それでも、最後まで自力で歩行し、リハビリにも励み、死ぬ間際までトイレも一人で歩いて行けたのは、昔鍛えた太もものおかげだったのではないか。
 今はときどきスクワットをしながら、太ももをさすって、「もっとがんばって太くなってね」と励ましている。相変わらずジーンズは似合わない原因だけれどね。
(水泳部時代の水着姿の写真がないかと必死に探したのですが、アルバムにはみつかりませんでした。なので、というのではないけれど、20歳のころのジーンズ姿を乗っけておきます。太ももの太さが目立たないなあ、この写真じゃ)
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