準強姦事件がもみ消されたり、セクシュアルハラスメントを訴えた女性のほうが非難されたり、気が重くなるニュースが伝えられています。これだけ大きなニュースになってきているのに、64年間もこの社会で女性として生きてきて、まったく自分の意見を言わないで逃げるのは卑怯だし、自分だけでなく、これからも私より長く生きていく女性たちのためにも思うことを言っておきたいと思い切って書くことにします。
 強姦やセクハラの被害者はいまだに圧倒的に女性です。女性であって、私には関係ないこと、とすませられる人はいないはず。誰もが#Me Tooと言いたい経験を持っている、と私は思います。
 自分自身を振り返っても、女「性」であるために不愉快な目にあうことは、生理もなかった8歳くらいからいろいろとあったし、実は今でもあります。性的魅力があるかどうかに関係なく、女「性」である以上、性的な嫌がらせからは生涯逃れられない社会だ、と言っても決して過言ではありません。
 それなのに、性が原因で不愉快な目にあったとき、私は大きな声で「やめてください」と言ってこなかった。私はいまだにそのことを後悔しています。なぜ声が出せなかった(出せない)のか。
 まず「恥ずかしい」のです。性に関することが恥ずかしいという気持ちが強すぎる。自分の性的身体を、性的対象と考えたこともない男性から、もしくはまったく見知らぬ男性から、モノのように扱われることのショックと屈辱と恥ずかしさで声が出なくなってしまうのです。
 2つ目に、え? なぜ今? なぜここで? なぜこの人が? という驚きのほうが先に立ってしまって声が出ない。つまり、秘すべきものと考えている性に、たとえば真昼間、もしくは仕事時間中、公共の場で、もしくは職場で、思いもかけなかった相手から、性的なことを言われたり、触られたりすると、あまりの不意打ちで、声が出てこない。
 思えば8歳くらいから、私は親から、周囲の大人たちから、さんざん言われてきました。「変な人がいるから、服装や態度に気をつけなさい」「男の人はだいたいがいやらしい妄想を抱いているものだから、それを刺激するようなことをしてはいけない」
 世間で考えられている「男性を刺激する女性的魅力」を強調しないことが、お行儀のよい品のある女性だとしつけられてきました。露出度の高い服を着ることは、自分の性的身体をさらけだすことであり、「襲われてもしかたない」行為だと親や先生たちからさんざん言われてきたのです。(実は、おとなしめの服装の女の子の方が「何も言わないだろう」と思われて痴漢にあいやすいのですが、それはさておき。)
 でも、どんなに「きちんとした服装」をして、どれだけ背筋を伸ばして隙を見せないようにしていても、不愉快な目にあう。おばさんになれば、そんな不愉快なことはなくなるだろうと思っていたのに、おばあさんになった今でもまだあるのです。
 そして、自分の経験を省みて、本当に心配だったのが娘たちでした。
 手をつないで歩ける年齢ならばなんとか守れるとしても、成長するにしたがって始終あとをついて歩くわけにもいかなくなる。
 だから、小学校に入って親なしで外を歩く機会が増える年齢から、何回も何回も繰り返しました。
「何かされたら、いや、されそうになってるんじゃないかと思った時点で、大きな声で「やめて!」と言いなさい。助けを呼びなさい。どんなに乱暴な言葉を使ってもいいから、嫌だということを伝えなさい。そして全力で逃げなさい」
「恥ずかしいと思わないで、何かあったら必ず私に言いなさい。あなたが嫌だと思っていることを無理やりしようとするのは、ものすごく悪いこと、逮捕される犯罪なんだよ。100%相手が悪い。あなたにはまったく悪いところはない。だから恥ずかしいか、自分が悪いとか、そういうことをいっさい考えず、全部話して。ママが必ずなんとかする。守ってあげる」
 娘たちが年頃になると、スカート丈が短いと眉をしかめたし、男の子と遊びにいくと聞けば帰ってくるまでハラハラドキドキした。でも、男性を刺激するからそんな服を着るな、とか、男の子とは節度を持って付き合え、とか、そんなこと以上に「嫌なことをされたら大声で嫌だ、やめろ、と言え」という「しつけ」のほうが重要だと思っていました。
 娘たちは2人とも高校1年生で海外留学をしたのですが、その前にも「嫌なことは大声で嫌だと叫ぶ」ことを練習させました(娘たちは私のあまりのしつこさにうんざりしていましたが)。どんな相手に対しても、たとえ相手が尊敬する先生とか親しいおじさんとかだったとしても、嫌なことは拒否すること、それこそが女の子に必要な「しつけ」だと思いました。
 女の子にそんな「しつけ」が必要な社会は本当に悲しいのですが、現時点ではしかたありません。できれば男の子を持つ親御さんにも「女の子が嫌がることは決してしない」というしつけを徹底してもらいたいのですが、なかなかそうはいかないから、セクハラやレイプがなくならないのでしょう。
 親がそんなしつけをしたところで、セクハラや痴漢から逃れられる保証はありません。でも、近年のMe Tooの運動でよくわかったのは、「声をあげることのたいせつさ」です。嫌なことは嫌なのだと声をあげること。力を持っている人間が、その力を利用して、力の弱い人間が嫌がることをすることは、他人の人間性を踏みにじる大きな罪であること。力の弱い人間がそれを防ぐには、勇気を振り絞って「やめてください」と声を上げることだということ。
 女の子にそんな認識と勇気を教えることこそ、本当に必要な「しつけ」なのではないでしょうか。