85歳をすぎると半数の人が認知症になるのだそうです。認知症……(深いため息)に恐怖心を抱いている私は、本を読みまくり、すでに認知症になった気分でいるのですが、いやまだこの程度じゃすまないのが認知症らしいです。
85歳というと、あと21年。西暦2039年です。「未来の年表」(河合雅司著)によると、「深刻な火葬場不足に陥る」そうです。つまり、死ぬ人が増えすぎて、火葬場が追いつかないという状態に。日本の人口は1億を切るくらいのところまで減少し、子どもはますます希少で貴重な存在になっているとのこと。
2039年、85歳になる私の認知症元年まであと21年。世の中はどう変わっていくのでしょうか?
そもそもこの20年、44歳のときから現在まで、私の生活も、取り巻く環境も、どれほど大きく変わったことか!!
1954年生まれの私は、なんという激動の時代を生きているのか、と考えるとおそろしいような気分です。
1985年、長女が保育園の年長さんだったとき、アルビン・トフラーの「第3の波」を読んで衝撃を受けました。この子(長女)が成人するころ、私の20歳のときとは環境も社会も激変しているにちがいない、それなのに教育は戦後からほとんど変わらず、変化に対応していない。この子は20歳になったときに社会人としてまっとうに生きていけるのだろうか、と結構深刻に将来を憂えたのを覚えています。 
その後、我が家にもトフラーの予言通りITの波が押し寄せました。長女はポケベルからケータイが生活必需品となり、次女は中学生のときから父親に買ってもらったパソコンでホームページを作り、 2人とも大学の論文はワープロではなくパソコンで製作し、IT化という情報化の波に自ら楽々とのっかって今に至っています。
先日、85歳の母が「あんたの持っているほら、あれ、なんか電話のようなカメラみたいなの、あれ、私は使えんかねー」とまたもや言い出しました。実はスマホが出始めたころから、同じことをときおり突発的に言い出すのです。78歳くらいのとき、ある日突然購入してきたこともあります。(Do✖︎Mo年寄りだますのもええ加減にせい!)結局、初期設定から私に丸投げで、2回ほどさわっただけで「無理」となり、お蔵入りとなりました。解約の手間とか、ほんと無駄だったわ。
母(父もですが)はもう第3の波は乗れなかったし、乗らないですみそうです。
でも、母と21歳違いの私は乗らないと社会人として生きてこられなかった、だろうと思います。
そして私と24歳違いの娘は、物心ついたころからなんということなく第3の波に乗り、今では第4、5、6くらいの波に乗っかっています。私と31歳ちがいの次女は中学のときに父親にもらったノートパソコンで、なんなくホームページを作り、パソコンの機能を家族の誰よりも(父親よりも)駆使しました。
長女も次女も、モノを欲しがりません。流行を追いかけることにもさして興味はない。服や靴も安いファストファッションで十分、と言います。ブランド品に高いお金を払いたいとは、2人ともまったく思わないらしい。グルメな外食にも興味なし。いまだにファッション雑誌を読み、服や化粧にお金をかけている私に「遅れてるね」と言います。つまり、モノに対する姿勢、というか、価値観が私と大きく異なる。
次世代とはこれだけ価値観やものの見方が違うのだな、と思うことが、娘たちと話していて驚かされます。
そしてあと21年後、2039年、認知症元年を迎える私は、娘たち世代の価値観をどれくらい理解できるのでしょうか?
もう一度言います。
私の世代は激動の時代を生きています。これからもっと世の中は大きく変わります。
その中で、どうやって生き延びていくか。
真剣に考えて日々過ごさなければならない、と身震いしています。