CONIFAワールドフットボールカップでロンドンに滞在中、私は出場したユナイテッド・コリアンズ・イン・ジャパン(在日コリアン代表チーム)の(一応)一員として、大会をスムーズに運営するためのさまざまな業務(大半は雑務)にたずさわってきました。
いや、大会前の半年間もいろいろと忙しかったなあ。UKヴィザ取得やCONIFAに提出するさまざまな書類の作成、チームからの大会組織委員会への要望やメディアからの問い合わせへの対応、プロモーションビデオ撮影コーディネート、はては大会パンフレットやネット上でのチーム紹介なども大量に書きましたよ。これほどまでに毎日大量の英文を書いたことは、おそらく英語で本("Japanese Restaurant Design")を書いたとき以来です。
ロンドンに入ってからも雑務で奔走しました。タオルや氷や水の手配、食事するレストランを見つけて予約する、途中で帰国する選手たちの航空券変更の交渉(BAとの交渉に半日かかった。BAなんで電話するたびに言うことが違うんだー!)、大会組織委員会や他チームとの連絡や交渉、行き帰りのバスの確認、試合中のレフェリングに対するアピール文書を提出する、海外メディアからの取材のための資料配布、取材のときには通訳、問題発生のときには会議に出席し、ときには他チームと喧嘩もする、と、これまた人生でこんなに英語(ときにフランス語)をしゃべりまくったのも人生で5度目くらいでした。
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(BBCの取材を受けるUKJ監督兼選手の安英学さん)

自分で言うのもなんだけれど、CONIFAの活動にたずさわるようになって、私の語学力は格段にアップしました。でもね〜キャリア終盤にさしかかっている今になって、英語やフランス語の力がアップしても、キャリアアップに繋がらないって! せいぜい「語学力は60歳過ぎても十分にアップしますよ」とお話できるくらいですが、こんなたいへんな思いをしてまで語学力をアップしたい人がそれほどいるとは思えない。

で、ふと思うのです。
いったい、私は、なんのために、こんなことを、やっているのか?
お金のためではまったくない。だって、ボランティア、無償奉仕だし。むしろ持ち出しだし。
だいたいにおいて、無料奉仕って仕事よりもはるかに消耗するもんなんです。仕事のほうがずーーっと楽。ビジネスだったら「あ、その仕事は私の業務ではありません」とビジネスライク(笑)に断れるけれど、無料奉仕ではそうはいかない。ほんと、何から何までぜーんぶやることになる。
試合後、私がスタジアムの外に蹴り出されてご近所の庭に落下したボールを、お庭の持ち主であるおばあさまに謝りながら拾ってきたところ、もう5年くらいつきあっているNYタイムズ記者に出くわしました。彼に「MOTOKO、ついにボールガールもやってんの?」と苦笑されたのだけれど、ほんと、ボールガール(ガールじゃないけれど)だってやらなくちゃならないわけですよ。
どんだけ肩書きをつけてもらったところで、社長兼営業部長兼広報部長兼お茶汲み、すべての業務を引き受ける覚悟をせねばなりません。それは何も私だけでなく、CONIFAの活動を支えている会長、事務局長以下、全員が同じです。私は見ましたよ。第一回大会のときには、会長がコーナーフラッグのセッティングまでやっていたからね。
マタベレランドというジンバブエ内にあるチームで私と同じような立場にいるジャスティン(英国人)と、お互い帰国するチームを見送った後に2人で「あ〜〜終わった終わった」「疲れたね〜〜」「いや〜〜まいったまいった」と労をねぎらいながら話をしたのですが、彼は「あまりにたいへんな9ヶ月で、僕はもう燃え尽きた」と言っていました。
CONIFAの理念に共感して始めたものの、私もジャスティンと同じで、だんだん雑務、というか、そこまでやらなくちゃいけませんか〜〜〜〜???ということまで降りかかってきて、でも、ほかにやる人やれる人がいないのでやらざるをえない状態に燃え尽きそうになることが何回もあります。ほかに頼める人がいない、そこが問題。でも英語がぺっらぺらに話せるからって、できるもんじゃないわけです。(実は今もちょっと燃え尽き状態)
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(3位になったパダーニアの表彰式。第一回大会からずっと出場している選手が今回はキャプテン! そういう成長を見られるのも楽しいです)
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(決勝戦では北キプロスもカルパタリアもスモークたきまくり。ピッチにまで煙が流れてちょっとどうよ、と思ったのだけれど、熱いサポーターが大勢大会にやってくるようになったのも、CONIFAが発展してきた証かもしれません)

CONIFAの活動に共感して、自分も何か手伝いたい、と言ってくださる方は実は少なからずいらして、私はとてもうれしいのですが、「ぜひ手伝ってください!」と言うのを躊躇してしまいます。「こんなはずではなかった」と期待外れのことがきっといっぱい出てきて、逃げ出したくなるのが目に見えているから。
ここまで愚痴をこぼしておきながら、なぜ、まだ性懲りもなく「アジア大会やれないかなあ?」とか「新メンバー発掘したいなあ」とか考えているかというと、CONIFAの理事たちや、他チームで私と同じような立場にある人たちの心意気に感じるところが大きいからです。
私は戦争や災害で住んでいたところを追われた移民難民ではないし、未承認国家の国民でもないし、僻地に住んでいるわけでも、自分のアイデンティティがパスポートに記載された国と異なるわけでもない。でも、彼ら彼女らが「サッカーの国際試合をしたい。サッカーを通して世界に自分たちの存在を知ってもらいたい。サッカーによって自分たちを向上させたい」という気持ちはとてもとてもとてもよくわかる。そのために私ができることをやりたいな、とCONIFAの人たちと顔をあわせると(ちょっと燃え尽き始めていた)気持ちがまたあらたになってしまうのです。
ロンドンの宿舎を出るとき、CONIFAの副理事をしているディミトリが私をハグして「MOTOKO、きみはぼくのシスター(姉? 妹?)だ。ぼくも妻もいつでもきみを我が家に家族として迎えるよ」と言ってくれました。実はディミトリとは以前に新幹線車内のデッキで、京都から名古屋到着まで国際電話で言い合いをしたことがあるという因縁があったのですが、それがあったおかげかどうか、今ではブラザーシスターの関係になったようです。
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(はい、ディミトリです。いや〜彼とも長い付き合いになったなあ)

結局、人と人を結びつけるのは、お金や仕事ではない、のだと思います。また理念、だけでもない。
CONIFAに関して言えば、サッカーの国際大会を開く、という一つの目的を共有していることが、私を、そしてCONIFAにかかわっている人たちを結びつけているのだと思います。
置かれた環境の相違からぶつかるのは日常茶飯事だし、こちらの意見を通すのに大汗をかくし、毎度毎度資金の調達に四苦八苦だし、とにかくたいへんなことが多すぎるくらいなのだけれど、そうやって目的を共有することで、べたな言い方ながら「家族」になって行くのではないか、と。嫌なことされたり言われたりして腹が立って顔も見たくない(→まさに私は今回あるチームの幹部にそう言ってしまった)にもかかわらず、やっぱり目的のためには顔を合わせてまた意見を言わなくちゃいけない。切ろうと思ってもなかなか切れず、ヘルプコールがくるとつい応えてしまう。そんな「家族」になってしまった、という感じでしょうか。
なぜCONIFAに関わっているのか? 自分を納得させるために、書いて見ました。結論は出ていませんが、でも、ちょっと気持ちがおさまったかな)