不思議なことに家電は一つ壊れると残りもつぎつぎと壊れます。なぜ? 家電同士、「きみがお陀仏になるのか。なら俺も逝くかな、そろそろ」とか通信しあっているのでしょうか?
 先日、トースターのスイッチが切れなくなり、真っ赤に焼けて危うく火事を引き起こしそうになったので即廃棄。先週新しいものに買い換えました。調べたら24年間使用していたので、まあ壊れるのもわからないではないです。そしたらガスコンロが4口あるうちの1口しかまともに使えなくなり、電子レンジ(同じく24年間使用)が危うくなり、2002年から使用している食洗機もときどきスイッチが入らない状態になったのです。2004年から使っているテレビも先日映らなくなりました。修理に来てもらった業者さんに「このモデルはかなり前に製造中止になっていて部品も調達できません。今回は運良くウチに部品の在庫があったけれど、つぎに映らなくなったら買い替えをご検討ください」と言われました。ただの予感ですが、食洗機が壊れるとまもなくテレビも逝ってしまいそうです。
 テレビはなくてもなんとか生活できますが、キッチン家電は働かなくなるとその日から私は万事窮すです。食事なんて、いまは外食や中食でどうにか凌げるじゃないか、という意見もわからないではないですが、私は自分で作った食事を食べないと食べた気がしない。どうしてもキッチンに立ちたい、どうしても調理がしたい、自分の好みの味付けで自分の好みの料理を食したい。一種の強迫観念かもしれません。
 そういうわけで、キッチン家電を全面的に買い換える機会に、キッチンそのものを大改造することにしました。
 キッチン大改造を機会に、キッチンで使用しているものだけでなく、生活用品や家具も含めて廃棄するもの、新調するもの、新しく購入するものも考えています。今の家であと20年生活「できる」ように、改造できることはしていこう、という計画です。これから本格的な老いを迎える私が、どう暮らして生きたいのか、その暮らし方を可能にするのはどういう家(空間)なのか。
 まず思ったのは、60年強生きてきた人が、それまでの暮らし方を大きく変えることはとてもむずかしい、ということです。家を改造したところで、生活の仕方や生き方が変わるわけじゃない。残念ながら。
 夫婦二人暮らしになってから、夫もやむなく家事の5%くらいをするようになりましたが、基本、掃除、洗濯、炊事、買い物をはじめとする「家事」は私がほとんどをになっています。60年以上、家事をまったくといっていいほどやってこなかった人(夫)が、仕事をやめて時間ができたから家事をやることはまずないのです。なぜなら、生活を律していく習慣は30歳までに身につけないと、身につけることはたいへんむずかしいから。私は自分の体験からそれは痛感しています。だから我が家では、私が夫の生活も含めて家事の主たる担い手になることは確実だと覚悟を決めています。
 今の私は部屋が散らかっているのも、ごみがたまるのも、埃が舞う部屋で呼吸するのも、嫌です。汚れた衣服やタオルは洗濯したい。洗濯物はお日様にあてて干したい。風呂場にカビが生えているのは見過ごせないし、排水口に髪の毛がたまっているのも嫌です。そして前述したように、自分が買い物して、料理したものを食べたい。でも、そういった家事を全部自分でこなすのではなく、機械にお任せできるようにしたい。
 今後は老いて衰えていくので、今と同じ量と質の家事が一人でこなせるとは思いません。それは無理です。そこで、モノを整理し、便利家電を利用して、生活の幅を自分の能力に見合っただけに縮小していきたい。そのためにまずはキッチンの大改造だと思っています。
 18歳で親の家を出てから46年間で培った家事能力ですが、残りの人生はその能力が衰退することを自分で認め、それに合わせた生活にしなくてはならない、と心しています。
 と言いつつ、大型電器店で今の家電の進歩に目を丸くし、デザイン性に心踊らせ、縮小どころか拡大しそうな勢いの自分を誰かに止めてもらいたい……