60歳を過ぎてから私の体型は徐々に変わりつつあります。体型だけではありません。シワ、シミ、たるみ、どれももう見過ごせず見逃せないほどの「老化現象」がからだの各所に現れています。
以前から、夏になるとあせもに悩まされ、とくに夏場は衣服の締め付けでかゆみがひどくなるので、着るものを選ぶようになりました。もともとアレルギー体質で皮膚が弱いので、肌にふれるものには注意が必要だったのが、老化とともにますます過敏になっています。天然素材だからいいってことはなし。天然素材でもかぶれるものはかぶれます。締め付けなければいいってこともない。色柄デザインや流行以上に私にとって重要なこと、それは肌が受け付けるかどうかになりました。
もう一つ、「終活」のためにクローゼットの整理を始めるようになってから、ファストファッションに対する疑問もむくむくと頭をもたげてきています。安いから、機能がいいから、と大量生産されたものをシーズンごとに買い換えるのは正直とても気分が悪い。罪悪感っていう以上に、自分が思考停止した愚か者になった気分なのです。かといって、「(品質が)いいもの」を長く着る、という意見は聞こえがいいものの、体型や体質ばかりか、社会生活がどんどん変化するこの年代ではかなりむずかしい。年齢ではなく、いまの自分の体型、体質、社会生活にあった服装とはいったいどんなものなのか? いまだに模索しています。

そんな悩みを解決しようと手に取った本や記事を紹介します。
「インスタグラムのグラマラスなグランマたち」
映画「アドバンスド・スタイル そのファッションが、人生」でもアメリカ女性たちが60歳過ぎてもおしゃれを捨てず、自分のスタイルを追求して人生を楽しむ姿が紹介されましたが、その流れでインスタグラムで自分の日々のファッションをアップする女性たちを紹介した記事です。
うん、うん、励まされる、楽しい、そうだね、年とってもおしゃれするエネルギーは失いたくない、と思いつつ、うーん、私が求めている「スタイル」とはちょっと違う、という違和感があります。ファッションこそ人生! とまでは私は言い切れない。おしゃれは好きだけれど、頑張りたくはない、そんな気持ち。なので、インスタグラムもときどきチェックはしていますが、私の参考にはならないなあ。そのファッションも、そのスタイルも、そん生き方も。

「おしゃれと人生。」小川奈緒著 筑摩書房
平松洋子、吉谷桂子、ウー・ウェン、角野栄子、有元葉子、ひびのこづえ、横尾光子、中島デコ、若山嘉代子、我妻マリという、たぶんライフスタイル誌で一度ならず特集記事が組まれたことがある大人の女性たちが、何を着てきたか、どんなスタイルを選んだかを豊富な写真入りで紹介しています。おしゃれの話だけではなく、生き方、暮らし方に踏み込んだ上でのスタイル紹介です。
「この年齢で何を着たらいいのだろう?」という悩みは、おしゃれに関心がある、もしくは衣食住に関わる仕事をしている女性たちの誰もが悩むことらしく、「もういいや」と悩みを放棄せずに自分の年齢にあったスタイルを見つけてきた女性たちの服装は参考になる……かもしれません。
私は角野栄子さんの服に一番惹かれたけれど、真似はできないししようもない。スタイル、というのは結局その人だけのものであって、普遍化もできないし、ましてやすてきな人の模倣をしたらすてきに見えて、すてきな人生が送れるわけでは決してない、ということがよくわかりました。

「「くらし」の時代 ファッションからライフスタイルへ」 米澤泉著 勁草書房
「服はもう流行(ルビ:ファッション)ではない。 朝食。ランニング。グランピング。ブックカフェ。なぜ、「ていねいなくらし」が流行しているのか」
この帯に、もうほんとそうだよね、とかくかくと頷きましたね。
「ユニクロでよくない?」から始まる本文にドキリとし、そうそう、私も「ユニクロでよくない?」とひそかに思いつつ、やっぱり大声では「よくない?」とは言えないよなあ、と思います。だって私がユニクロ着ていると、必ず誰かに「あ、それユニクロだよね。私も持っている」と言われる。そして「もうユニクロでいいよね」と追い打ちがかかる。正直、私はそう言われたくない。私の年齢だと「よくない?」にこめられたのは「服なんて考えるのはあほらしい年齢だよね?」というニュアンスで、私は「服なんかどうでもいい」とはまったく思っていないから。
 エシカル(倫理的に正しい、と訳せばいいか)なファッションを追求する。つまり、流行を追いかけることで大量生産大量消費をやめ、地産地消で自然素材を用いた服を長く大事に着る、など地球に負荷をかけない、という服装が「おしゃれ」だとする「流行」を分析しています。「ていねいなくらし」が「流行」する背景や消費者心理に踏み込んだそのファッション論には、現象としては非常によく捉えられていて、もう頷くしかない。
「何を着るか、誰が着るかだけでなく、本書でも具体的に見て着たように、どんな日常を送っているのかが重視される、「くらし」の時代がやって着た。服だけおしゃれしていても、メイクだけキマっていても、ファッショナブルではない。日々何を食べ、どこへ行き、どんな部屋に住んでいるのか。どんな「くらし」をしているのか。そこでは、むしろ何を着ているのかはたいした問題ではない。すでにおしゃれは「生きがい」などではなく、「おしゃれはほどほどでいい」「毎日同じ服を着るのがおしゃれな時代」となっている」
うーん、そうなのか。いや、そうなのだ。でも、でも、でも、60年代のロンドン発ユースクエイクに揺さぶられ、70年代に留学先のパリで高級ブランドに目がくらみ、80年代にアパレルに勤務してDC旋風に巻き込まれ、90年代に「ワンランクアップ」のメイクに邁進した私は、どうしても服(だけでなく化粧)が発信するファッションに背を向けられないのです。どうしたらいいんだ?
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ナオミ・クラインの本
「ショック・ドクトリン」「これがすべてを変える 
資本主義vs気候変動」「「NO」では足りない」
今年の夏はまたもや40度越えが各地で観測され、熱中症で何人もが命を落とされ、台風がいくつも発生し、何よりも中国四国地方を襲った豪雨によって20名以上が亡くなられ、今も避難生活を送られている方々が多数という災害が起きました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被害にあわれた方々が1日も早く生活を取り戻されることを願っております。ありきたりの言葉しか書けない自分が歯がゆいです。これらの災害はもはや天災ではなく人災。自分も含めた人間が自然を破壊しつくしてきた結果が招いたものだ、とつくづく思います。もっと前に防ごうと思えば防げたはずの災害。でも、それは日本に限ったことではありません。
スウェーデン北部で暮らしている知り合い(CONIFAの仲間)から、「日中の気温が35度を超えた! こんな暑さは50年生まれてきて初めてだ! あきらかに湖の水位があがって、氷河が融けていることを実感する」というメールが来て、これはもう地球的に温暖化の進行が自然災害を引き起こしているにちがいないと確信しました。
そんな中で手に取ったのがナオミ・クラインの「これがすべてを変える 資本主義vs気候変動」の分厚い上下2冊本。衝撃でした。
産業革命以後、地球の温度は1度近く上昇していて、このまま化石燃料を掘るだけ掘り、使うだけ使っていれば、2100年には摂氏4度気温が上昇してしまう。4度上昇すると、世界の海面水位は1メートル、場合によっては2メートル上昇する恐れがある。いまも徐々に沈みつつあるキリバスやツバル(どちらもCONIFAメンバー)などの多くの島々は完全に海面下に沈んで消滅する。日本だって住める平野部がどんどん縮小していく。そんな未来予測図が描き出されて暗澹たる気分になったのですが、ナオミ・クラインの本はどれもそこで終わらせません。
「社会のシステムそのものを今こそ変えよう」という提案がなされるのです。気候変動による災害が地球のあちこちで頻発している今こそチャンス。化石燃料を掘るだけ掘って自然を破壊し、金儲けできる人が成功者で、世界中の富の8割を数パーセントの人間が手に入れ、それを少しも還元しないシステム、それを変えるのは今だ、今しかない! とナオミ・クラインはどの本でも強調します。膨大な資料に裏付けられたその主張には、もう反論のしようもないほど。そして「今こそシステムを変えよう」という提案には、その通りだ! とがっくり落ち込んで座っていた椅子から立ち上がらせる力があります。
でも、そのために今の私たちの暮らしを根本から変える痛みとがんばりが必要で、それに耐えられるかと不安がかき立てられるのも事実。既得権益の上にあぐらをかいている「成功者」はまったく聞く耳を持たないでしょうし、実際に被害にあっている人たちでも生活を変えろと言われてもそのエネルギーがないかもしれない。「エシカルなファッション」とか「ていねいなくらし」の追求ではとてもすまないのですから。
私たちが、何を、どう変えたらいいのか。何を捨てて、何を選べばいいのか。
つぎに読んでいる「「NO」では足りない」にヒントが見つかりそうです。
「暑かったね〜」「災害たいへんだったね〜」で終わらせてはいけない。
喉元過ぎれば熱さ忘れる、というわけにはいかないところまで私たちの地球はズタボロです。
新自由主義の行き過ぎから行き詰まる資本主義、独裁の台頭とポピュリスム、貧富の格差拡大・・・・・気候変動は何が引き起こしたのか、そして気候変動は何を引き起こしているのか。
まずはそこを見据えることから、システム変革の第一歩が始まります。

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で、いきなりとても次元が低いところに話が落ちていくのですが、反グローバリズムの旗手であるナオミ・クラインに言われる前から、私は「地産地消ファッション」を志そうとしています。日本はもちろん、世界各地の地元で作られた素材を使った服を着よう、という試みです。今年の夏は、書道のお仲間に教えていたSOUSOUというブランドの服を着ました。高島緬や知多木綿という滋賀県の工場で織られ染められた木綿地の貫頭衣がなんと涼しいことか! これだけ暑く、大汗をかいて毎日を過ごしていたにもかかわらず、ついにあせもと無縁で夏が終わりそうです。しかも、私好みの色とデザイン! おしゃれが楽しく、からだに負担がかからず、ある程度エシカル。ほかにもこういう作り手の服を着るのが、今後の私のファッション・ライフになりそうです。
 
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