この1ヶ月間、私はひたすら断捨離に励んでいまして、現在最高潮に盛り上がっております。断捨離っ、佳境っ! って感じですかね。断捨離でアドレナリンが出まくりです。
振り返ってみると、去年娘が里帰り出産すると言ってきたときから、新生児を迎え入れるために家の片付けを始めてましたから、すでに1年以上断捨離続行中です。洗面所、お風呂場、クローゼット、寝室、押入れ、仕事部屋、キッチンときて、まだ終わっていないところはリビングの収納棚くらいになりましたが、それもこれから2週間でやり遂げられそうです。
あ〜断捨離すると気持ちいい。人生、リセットしている気分です。どこに何があるかを把握できつつある今、生活にぐんと張りが出ます。探している時間が減り、なくしたんじゃないかと不安にかられることもなくなって、ストレスが減るから。
実家の片付けをしたときも思いましたが、片付けって思い立ったときに一気呵成でやってしまわないと、私の場合はどうも無理みたいです。ま、片付けだけでなく、私はなんでも思い立ったら一気呵成なんですけれど、とくに大っ嫌いな片付け仕事は、さあやるぞ〜〜〜今やらないでいつやるんだ〜〜〜と自分を追い詰めて短時間で一気に動かないと無理。「明日やろうの馬鹿野郎(遠藤選手の口癖)」になってグデグデしていると、ぐちゃぐちゃのままでもっと年老いていき、体力も気力もなくなって、ますますゴミの中に埋もれていくのは目に見えています。しかもゴミが増えれば増えるほど、恥ずかしくて自己嫌悪に陥って、「いいの、放っておいて」と他人の手を借りることもできなくなるでしょう。そうなってしまってからでは、子どもたちにもご近所にも多大なる迷惑をかけてしまう。よくあるケースです。
立つ鳥あとに巨大なゴミの山を残す、、、、、その未来が予測できて、ここ数年はストレスでした。いつもきちんと整理整頓された部屋ですっきり生活している人がすごくうらやましかったんだけれど、少なくともこれから数年は私も整頓した部屋で生活できそうな感じ。これでいつ死んでも、子どもたちにも友人たちにも笑顔で見送ってもらえそうです。たぶん。

さて、今回断捨離に励んでみてわかったことが3つあります。
第一に、60代になると「いつか」というときは95%の確率で訪れない、ということです。いつか時間ができたら読むだろう、という本は、95%読まないで生涯を終えます(きっぱり)。いつか着るだろう、という服も、95%の確率で着ないまま終わります。いつか使うだろう、という上等の食器だって、しまってしまえば100%使わないままで終わります。今自分が使っていないモノ、今自分が必要としていないモノ、今自分が欲しくないモノには、「いつか」という未来はないのです。というか、私には「いつか」という未来の時間はさほど残されていない。5年間使っていなかったモノ、積ん読だけだった本、着なかった服、それはもう私にとってだけでなく、他人にとってもやはりゴミなのです。
第二に、私の「思い出のモノ」(思い入れがあるモノといったほうがいいかも)は他人(家族も含む)にとって何の価値も持たない、と自覚することが必要だということです。旅行先で買ったおみやげなんかその最たるモノですが、記念品、賞状、ほめられた絵や書なども、他人にとってはおもしろくもおかしくもない、つまり価値があるものではない、と心しなければなりません。自分がたいせつにしてきた「思い出の品々」も、他人にとってゴミでしかない、と割り切って、思い出はデジタル写真にとって、モノは捨てる(もしくは廃棄してもよし、と書いた箱にしまっておく)それが肝心。
第三に、子どもたちに遺す(残す)ということは考えてはいけない、ということです。私は母からディナーセットなるものをもらったのですが、めったに使う機会がありませんでした。またティーセットも3セットももらってしまいましたが、これまた飾り物でしかありません。なのに、食器棚の半分をこの2つが長年にわたって占拠していました。今回、食器棚を処分したのを機に、ディナーセットもティーセットも処分することにしました。
そもそも、ディナーセットやティーセットでお客をする時代ではなくなっています。私が20代、30代だったときに比較すると専業主婦は減り、家でお客をもてなす空間的、時間的、経済的余裕がある家庭も減りました。子どもたちが生きる時代は、私が生きてきた時代とはあきらかに違います。ましてや母が生きてきた時代とは女性と家庭をめぐる環境の変化は著しい。余裕のある専業主婦で、それを誇りにしてきた母が私に残したモノを、子どもたちに受け継がせるのは酷というものです。現に「ディナーセットいらない?」「ティーセットいらない?」と一応娘たちに聞いたのですが、2人とも「いらない」とあっさり却下。そうよね、だいたいにおいて、そんなものが置けるスペースがない家で暮らしているんですから。
遺していいのは、頭の中の思い出だけ。娘たちには娘たちの人生があり、それぞれが必要としているモノ、好きなモノがあり、それはたぶん私の持っているモノとは異なります。そう覚悟して、断捨離です。

人生第三期に足を突っ込んでいることを自覚したからこその断捨離です。映画のタイトルではありませんが、「今を生きる」覚悟を持って、日々のストレスをできるだけ減らし、過去を振り返ってため息をつくことをやめ、残された時間をたいせつに前を向いて生きていくために、モノとのつきあいを根本から変えたいと思っています。いつでも別の場所(来世も含めて)に行けるように、身軽になっておきたい、というのが本音かな。
(あ、そうそうもうひとつ断捨離しなくてはならないことがありました! 贅肉です。これもすっきり落としておかないと)