20代後半から30代前半まで勤めていた会社で、隣の課の課長(当時40代男性)が言った。
「俺は体力を気力でカバーするタイプだから」
 そして続けて私に向かって
「実川さんは気力を体力でカバーするタイプだね」
 課長、スポーツ好きだったけれど細身で華奢な体型。すぐに風邪をひくし、忘れてしまったけれど何か持病があったように記憶する。何かと言うと「男はこうすべき」「女はこうあるべき」とか言う人で、決していやな人ではなかったけれど、男性社会の価値観にどっぷりつかって生きる典型的な演歌オヤジだった。だから「男は強くなくてはならない」という彼の確固たる信念に基づいて、体力を気力でカバーしてがんばっていたのだと思う。
 一方の私は、当時まだ幼い子育てと仕事の両立でアップアップしていた。がんがん仕事をしたい、と一応思ってはいても、現実には子育てのほうに気持ちがいっていた時期だ。4時45分くらいになるとすでに保育園のお迎え時間が気になってやっていた仕事は上の空。そんなだから職場で私は半人前扱いで、会議にも入れてもらえなかったし、雑用しか頼まれなかった。ただ、めったに風邪もひかないし、少なくとも自分の体調不良で会社を休むことはなく、子どもも丈夫で、1年に1回くらい熱を出す程度ですんでいたから、そこは評価されていたのだと思う。
 だから課長の「気力を体力でカバーするタイプ」と言うのは、褒め言葉と受け取った。もしかすると課長はたいして褒めたつもりはなかったかもしれないのだが、私自身はたいへんにありがたく、今にいたるまで覚えているのだ。そうだ、私には体力がある!! 気力や能力では劣るかもしれないが、この体力があればきっとこの修羅場(今振り返ると修羅場でもなんでもなかったが)乗り越えられる! その自信がが湧いてきて、お迎えに行ったときに子どもを抱きしめて、自分と子どもの体力に感謝した。私がはっきりと体力自慢に切り替わった日である。
 子ども時代から思春期、そして20代まで、私は自分の丈夫さに屈折した思いを抱いていた。子ども時代に夢中になって読んだ「世界少年少女文学全集」で、体力自慢、健康自慢の女の子はほとんどが田舎育ちでダサく描かれていた。都会的でほっそりと美しい少女は、体力なしで病気がちと決まっていた。すぐに失神したり、貧血を起こしたりするけれど、そのたびにたくましいお父さんや少年がお姫様抱っこをして介抱してくれる。「アルプスの少女ハイジ」のハイジvsクララが典型だろう。「風とともに去りぬ」でスカーレット・オハラははちきれんばかりに健康だったために、メラニーに恋で負けた(と私は解釈した)。そして私は、貧血気味で、色白で、ときたま頬にうっすらと赤みがさすような「深窓の令嬢」「薄幸の美少女」にいたく憧れた。すりきれるまで読んだ愛読書「赤毛のアン」でも、アンは気を失うことに憧れていたのだから。
 私はめったに風邪もひかず、食欲は旺盛で、たとえ食べ過ぎてもおなかを壊したりしなかった。「気持ちが悪い」というのがどういうことかを知ったのは、20歳過ぎて二日酔いになったときが初めてだ。貧血は今にいたるまで経験していない。甲殻類アレルギーが私の唯一の「持病」で、私はレストランに行くと、やや自慢げに「私、エビカニのアレルギーなの」といって周囲の同情を引いた(まわりは迷惑がっていただけだた)
 運動神経はなかったけれど、長距離走や水泳(遠泳)など体力勝負の競技ならば女子には、ときには男子にさえも勝てた。でも、そんなもので勝てる女子を男子は敬遠しがちだ。10代、20代に男子にモテるのは、「ぼくがかばってあげたくなる女の子」と決まっていた。つまり華奢で、今にも倒れそうなくらい体力がなさそうな女の子だ。肩幅が広く、腕も太ももも筋肉隆々、何時間でも歩けるし、重いものも軽々持つような女子(私)に、「女の子だから」と特別サービスしてくれる男子はいない。どつかれないように遠巻きにするだけだ。
 だから私は体力が自慢できなかった。できるだけ体力にまつわる話題を避けてきた。だが、育児と仕事の両立をはかる上で、体力ほど重要な資源はない、と30代になって気づいた。
 そして今、老化が進んでいることは自覚しているし、体力も30代のころとは大違いだと気付かされることが多くなってきたとはいえ、それでも私はまだ気力をカバーできる体力があることに感謝している。
 ただし、体力にメンテナンスが必要だということも痛感している。睡眠、規則正しい生活、食事、そして運動。そんなものに気を配らなくては、気力をカバーできるだけの体力は維持できない。
 もう男子の目をまったく気にしなくてよくなった今、筋肉量を落とさず、というかもっとたくましく筋肉をつけて、最後まで体力自慢で走り抜きたいと思っている。