現在ポーランド時間 1月30日(水)午前9時30分です。24日に当地に到着したので、ちょうど一週間経つことになります。
今回ポーランドにやってきた一番の目的は、クラクフで開催されるCONIFA年次総会に出席するためでした。 年次総会で何を話し合ったか、どんなことが決まったかについては別のエントリーで書きます。
とりあえず、この一週間、とても濃密な時間を過ごしてきたので、メモではありますがCONIFA会議以外の日々を写真でざっと追っていきます。
1月24日(木)
午前10時55分成田発のLOTポーランド航空でワルシャワに飛び立ちました。ボーイング787機の機内はまあ快適で、なによりも空いていたおかげでより居心地よかったです。この寒い時期のポーランドにわざわざ観光に行こうという物好きな人はいないのかな?(あとでわかったのですが、寒い時期ですいているからこそいくという人も少なからずいらっしゃったみたいです)
11時間半ほどのフライトで無事ワルシャワに到着。現地時間14時10分。天気はまあまあ晴れ。入国審査もあっけないほどあっさりしたもので、荷物もすぐに出てきて14時30分にはもう迎えのハイヤーに乗っていました。一人だったし、初めての場所だし、少し不安だったのでホテル・ポロネーズ・パレスという中央駅近くのホテルまでハイヤーの迎えをネット経由で頼んでおいたのでした。運転手さんともすぐに会えて、空港から20分ほどでホテルに到着。15時前に到着できました。スムーズ!
この日はアンナさんというワルシャワ大学日本語学科の先生をしていらっしゃるかたに、ヘブライ語講座に連れて行っていただくことになっていたので、急ぎシャワーを浴びて着替え、16時30分にホテルロビーへ。アンナさんとはメールでやりとりしていたおかげか、初対面でも旧知のような親しみを感じました。知性と思慮深さがにじみ出ていて、そしてエネルギッシュ。
ヘブライ語講座の皆さんに、日本から和三盆のお菓子とチョコレート菓子を持って行ったら、喜んでいただけました。
その後にあった「ワルシャワゲットー蜂起」の中心人物だったマレク・エデルマンさんという人の本を書いているジャーナリストのトークイベントに誘っていただき、アンナさんの同時通訳で話を聞きました。とても心に残った言葉がいくつかあったのですが、それは別エントリーで書きます。私の第一の印象は、ホロコーストは現在進行形だ、ということです。ポーランドだけでなく、世界中でホロコーストは進行形なのです。歴史に学ぶことがどれだけ重要なのかを身に沁みて感じました。
アンナさんにホテルまで送っていただき、ホテルのレストランでジュレックというすっぱいスープとパンで食事をして就寝。
夜のワルシャワ
朝になったら雪が積もってました
1月25日(金)
目覚めたのは午前6時。時差ボケで午前2時に目が覚めてしまったのですが、睡眠導入剤を飲んでむりやり眠り、それでも6時には起きてしまいました。
まだ暗い中を目をこらして窓の外を見たら、なんと雪がしんしんと降っているではないですか! やれやれとため息。ホテルからふつうに歩けば5分のところにある中央駅まで、ばかでかいトランクを引っ張って、転ばないように用心しいしい20分かけて歩きました。たどりついたときには汗かいてましたね。
クラクフまでポーランド鉄道のネットでチケットを購入したのですが、ポーランド語が読めない哀しさ
よ。これだ! と信じていた列車が、ぎりぎりになってどうやら違うらしいと気づき、あわてて近くの人に「このチケットでクラクフ行きたいんだけれど、どれに乗ったらいい?」と聞きまくり。アンナさんから「若者は英語を学校で勉強しているから、聞くなら若者に」といわれていたので、最後に家族づれで旅行している高校生くらいの男の子に乗るべき列車と号車を指差し確認(ちょっと意味が違うけれど)で教えてもらいました。乗ってからも、どのコンパートメントかわからなくて「私はどこに行けばいいの?」と叫び、見つけた修道女をつかまえてチケットを見せて案内を乞い、手を引っ張って連れていってもらいました。コンパートメントではおじさんにトランクを網棚にのせてもらいました。ポーランドの方々に感謝感謝、拝みましたよ。あ、修道女のかたには祈りを捧げてしまいました。
ワルシャワ中央駅で、てっきりこの列車に乗るのかと思ったら違いました
今回ポーランドにやってきた一番の目的は、クラクフで開催されるCONIFA年次総会に出席するためでした。 年次総会で何を話し合ったか、どんなことが決まったかについては別のエントリーで書きます。
とりあえず、この一週間、とても濃密な時間を過ごしてきたので、メモではありますがCONIFA会議以外の日々を写真でざっと追っていきます。
1月24日(木)
午前10時55分成田発のLOTポーランド航空でワルシャワに飛び立ちました。ボーイング787機の機内はまあ快適で、なによりも空いていたおかげでより居心地よかったです。この寒い時期のポーランドにわざわざ観光に行こうという物好きな人はいないのかな?(あとでわかったのですが、寒い時期ですいているからこそいくという人も少なからずいらっしゃったみたいです)
11時間半ほどのフライトで無事ワルシャワに到着。現地時間14時10分。天気はまあまあ晴れ。入国審査もあっけないほどあっさりしたもので、荷物もすぐに出てきて14時30分にはもう迎えのハイヤーに乗っていました。一人だったし、初めての場所だし、少し不安だったのでホテル・ポロネーズ・パレスという中央駅近くのホテルまでハイヤーの迎えをネット経由で頼んでおいたのでした。運転手さんともすぐに会えて、空港から20分ほどでホテルに到着。15時前に到着できました。スムーズ!
この日はアンナさんというワルシャワ大学日本語学科の先生をしていらっしゃるかたに、ヘブライ語講座に連れて行っていただくことになっていたので、急ぎシャワーを浴びて着替え、16時30分にホテルロビーへ。アンナさんとはメールでやりとりしていたおかげか、初対面でも旧知のような親しみを感じました。知性と思慮深さがにじみ出ていて、そしてエネルギッシュ。
ヘブライ語講座の皆さんに、日本から和三盆のお菓子とチョコレート菓子を持って行ったら、喜んでいただけました。
その後にあった「ワルシャワゲットー蜂起」の中心人物だったマレク・エデルマンさんという人の本を書いているジャーナリストのトークイベントに誘っていただき、アンナさんの同時通訳で話を聞きました。とても心に残った言葉がいくつかあったのですが、それは別エントリーで書きます。私の第一の印象は、ホロコーストは現在進行形だ、ということです。ポーランドだけでなく、世界中でホロコーストは進行形なのです。歴史に学ぶことがどれだけ重要なのかを身に沁みて感じました。
アンナさんにホテルまで送っていただき、ホテルのレストランでジュレックというすっぱいスープとパンで食事をして就寝。
夜のワルシャワ
朝になったら雪が積もってました
1月25日(金)
目覚めたのは午前6時。時差ボケで午前2時に目が覚めてしまったのですが、睡眠導入剤を飲んでむりやり眠り、それでも6時には起きてしまいました。
まだ暗い中を目をこらして窓の外を見たら、なんと雪がしんしんと降っているではないですか! やれやれとため息。ホテルからふつうに歩けば5分のところにある中央駅まで、ばかでかいトランクを引っ張って、転ばないように用心しいしい20分かけて歩きました。たどりついたときには汗かいてましたね。
クラクフまでポーランド鉄道のネットでチケットを購入したのですが、ポーランド語が読めない哀しさ
よ。これだ! と信じていた列車が、ぎりぎりになってどうやら違うらしいと気づき、あわてて近くの人に「このチケットでクラクフ行きたいんだけれど、どれに乗ったらいい?」と聞きまくり。アンナさんから「若者は英語を学校で勉強しているから、聞くなら若者に」といわれていたので、最後に家族づれで旅行している高校生くらいの男の子に乗るべき列車と号車を指差し確認(ちょっと意味が違うけれど)で教えてもらいました。乗ってからも、どのコンパートメントかわからなくて「私はどこに行けばいいの?」と叫び、見つけた修道女をつかまえてチケットを見せて案内を乞い、手を引っ張って連れていってもらいました。コンパートメントではおじさんにトランクを網棚にのせてもらいました。ポーランドの方々に感謝感謝、拝みましたよ。あ、修道女のかたには祈りを捧げてしまいました。
ワルシャワ中央駅で、てっきりこの列車に乗るのかと思ったら違いました
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