〜力、っていう言葉はもう手垢どころか泥まみれ、汗まみれになっている感じがするので本来なら使いたくないのですが、あえて言います。
未来が不透明で、選択肢がいろいろとある時代に必要なのは、「決める力」ではないか、と私は最近強く思っています。そしてその力をつけるためには、日常生活でのこまかいことを自分で考えて、判断することから始まるのではないか、と。
朝ごはんはコーヒーか紅茶か。
洗濯するかどうか。
壊れた時計を修理に出すか、新しく買うか。
今日の夕飯は何を作るか、何を食べるか。
そんなことを決め、決めたことを実行し、たとえ失敗しても反省はしても後悔しない。そんな訓練を重ねることが、もっと大きな決断を迫られたときの「決める力」につながっているのではないか、と最近とくに強く感じています。
というのは、私の周りだけかもしれませんが、アッパー50歳の男性たちにこの「決める力」がとくに不足しているように思えてならないのです。
たとえば旅行。どこに行くか、いつ行くか、誰と行くか、何をしたいか、グループに男性が一人入るとまったく決まらない。
調べた情報は提供する。でも、その情報は自分の意見ではない。「どこそこはその時期雨が多いらしいよ。SNSに書いてあった」とかね。私が聞きたいのは、その人がそこに行きたいのか、行きたくないのか、そこなんだけれど、なぜか男性(おじさん)は「行きたくない」とかは言わないで、否定的情報のみを提供する。「それじゃそこはいやなのね」と聞くと、「いや、いやってわけじゃないけれど、むにゃむにゃ」とごまかす。たぶん行きたいかどうか決める力がないが、それを認めたくないから「○○さんが行きたいっていうならそこでいいよ」とか言う。
まあ旅行程度だったら、勝手にこちらが決めて「行きたいなら仲間に入れてあげる。いやならいま断って」と迫るか、もしくは途中で仲間から外してしまえばいいことです。
でも、そういう人っておそらくもっと大きなことも自分では決められないのではないか、と私は疑っています。たとえば結婚とか、転職とか、転居とか、もっと言えばどんな死に方をしたいか、というところまで他人に判断(決断)をあおいでしまう。そういう人にかぎって、どんな結果が出てもあとでぐちぐち悔やんだり悩んだりしてしまう。
なぜそういう人に男性が多いのかを考えていて思いついたのが、日常生活での小さなことを自分で決めてこなかったからではないかと勝手に思い至りました。親や奥さんが用意したものを食べ、用意してくれた服を着て、会社で上司に言われた仕事をして、部下や同僚や上司とのつきあい方もマニュアルが教えてくれるとおりにこなしていたら、そりゃ「決める力」はつかないです。
もちろん、女性にも決める力がない人がいるのだけれど、比べてみたら圧倒的に男性のほうに多い、というのが65年生きてきた私の感想です。はい、統計取ったわけでもないので、あくまで個人の感想です。
まあね、私はいつもあっという間に決断して、すぐに行動して、半分くらいの確率であちゃーーーーってことになっちゃうんですけれどね。でも、ま、少なくとも失敗してもそれを誰かのせいにするひまもなく、つぎの決断と行動に移ってしまうか忘れてしまうので、あとはひかない。そういう私に言われたくないわ、という男性が多いことも認めましょう。
おっちょこちょいと言われてもまあ仕方ないけれど、おっちょこちょいでそそっかしくて粗忽だからこそ、得てきたものも多いかなと思う今日このごろ(締めまで手垢がついている)