「私はみんなにかわいがられるかわいいおばあちゃんになりたいのよ」
 たしか後期高齢者に到達したときのこと、母が私に言った。その後も折に触れて、「私の目標はかわいいおばあちゃんになること」と言い続けていた。
 それを聞かされるたびに私は「おいおい!」とツッコミをいれたくなった。なぜなら、母の性格にはおよそ「かわいい」ところはない、と私は思っていたから。それにそもそも、お母さん、若いときには「かわいい女」なんかバカにしていたじゃない? 私たちがちょっとでも、媚を売ってかわい子ぶろうものなら、「やめなさいよ、気色悪い」と一喝し、「甘い顔を見せるんじゃないのっ! 言いたいことがあればはっきり言ってやりなさい! 毅然としていなさい!」って叱り付けていたじゃない? そんな母がいったいなぜ突然「かわいいおばあちゃんになりたい」なんて言い出したのか? 疑問に思ったのであるとき聞いた。
「かわいいおばあちゃんって、どういうおばあちゃんのことを言ってるの?」
「若い人たちのいうことをはいはいって素直に聞いて、若い人たちの足を引っ張るようなことを言ったりしたりしないで、 毎日ありがとうと感謝の気持ちを忘れないで、いつもにこにこ笑っているおばあちゃんのことよ」
 おいおいおいおい! お母さん、そんな役柄はあなたにはおよそ似合わないし、そもそも無理だろ〜〜〜というのが、そのときの私のツィートである。あ、もちろん胸の中だけでね。そして不安になった。母は老いに負けているんじゃないか。自信を喪失してしまったのではないか。老いることはそんなに大変なのだろうか? およそ似合わない「かわいい」キャラを演じる屈辱を受け入れるのか?
 そして86歳になった今、母はそんなことを言っていたことはきれいさっぱり忘れたようで、ここ5年ほどは「かわいいおばあちゃん」という言葉は一回も聞いていない。よかったよかった。

 この社会で女性が高齢になるにあたって、選択肢は2つしかない、と私は思っている。
一つは、夫や子どもや世間様に従順で、自分の権利をやたらと主張せず、あまり肩肘張らずに「お願いね、もう年だから」と人を頼り、何かやってもらったらありがとうありがとうと感謝を表し、いやなことがあっても目をつぶってなかったことにし、怒られたらなんで怒られたかわからなくてもひたすら謝る「かわいいおばあちゃん」
もう一つは、自分の権利をはっきりと主張し、おかしいと思うことははっきりおかしいと指摘し、意に沿わないことをされたり言われたりしたら恐れずに反論し、夫や子どもや世間様がどう言おうが自分がやりたいことをやり、行きたいところに行き、食べたいものを食べるわがままを通し、できるかぎり自分のことは自分で決めて自分の力でやり、何歳になろうが自分の存在価値をどう高めるかにあくせくする「かわいくないおばあちゃん」
 そして私は「かわいくないおばあちゃん」になりたい。
 いずれは私もボケるだろうし、からだの自由がきかなくなって、ひとに頼らなくてはいけなくなる。それは覚悟している。でもそのときまでは「かわいくないおばあちゃん」を目指したい。
 それ以上に、私はひとから「かわいい」とか「かわいくない」とかいう評価など、気にしない人になりたい。以前に比べるとだいぶ気にしなくなってきたけれど、まだまだ「いい年してこんなことして、ひとはどう思うだろう?」とか「この格好、若作りとか思われないかな?」とか「新しいことを始めるのに、この年だともう遅い?」とかちらりと考えてしまう。それがいやだ。
  というところで、2019年下半期の目標は、「(これまで以上に)やりたいことをやる! やり遂げる!」です。 まだまだ踏ん張ろう!

  
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(エーゲ海
にのぼる朝日に活力をもらったギリシャ、サントリーニ島の朝食)