子供の頃、母親や先生たちに自分がやりたいことを伝えると、「夢を抱くのはいいこと」と言われ、それならと実際に行動に移すと「そんなの無理です」「無理に決まっている」とよく言われました。そのころから「無理です」という言葉が本当に嫌いでしたし、今も嫌いです。
たとえば、、、
大学まである一貫校である保守的な女子校で学校生活を送っていたのですが、外部の大学を受験したいと言ったときの担任の先生の第一声が「無理ですね」。
何をもって無理といったのかわからないのだけれど、ひたすら無理といわれつづけました。
成績のせいかな、と思ったけれど、外部の模擬試験を受けたら全国3位とかの成績がとれて、余裕で志望校に受かると太鼓判。なのに「無理です」の一点張り。わけわからなかった。
親に頼んで予備校に行かせてもらったら、「成績がいいから国立を狙ったらどうですか?」と予備校の先生に言われ、いい気になって家に帰って「国立大学にいく」といったら「そんなの無理に決まっているでしょ!」とあっさり言われてあきらめました。そのころはどうやって反抗したらいいかわからないアホでした。
大学に入ってからも、ビジネスウーマンになりたいなあ、といったら「女には無理」と男性の先輩言われたり、「結婚しても仕事をつづけたい」とつきあっていたボーイフレンドに言ったら「きみには無理だ」と言われ、「子供が生まれても仕事をつづけたい」と言ったら、上司から「無理ではないですか」と言われ、いまも「その年では無理」とか「お金がないから無理」とか、ほんと、無理と言われ続けてきて、ますます「無理です」が嫌いになりました。
でも、無理と言われてあきらめることはないのです。国立大学は受験しなかったけれど、私立大学は受験して合格したし、結婚しても仕事を続けられた。子供ができたら会社員を続けるのは無理だったかというと、女性社員たちが就業規則に産休の項目を入れるようにと署名運動をして、会社に頼んでくれたおかげで働き続けられました。
そしていまも、私はしょっちゅう「そんなの、無理ですよ」と言われることをやろうとしています。
もうね、無理という言葉は私の耳には届かないんです。いえ、年齢のせいで耳が悪くなったわけではなく(ちょっとはあるか?)認知症で無謀になったわけでもないのです(ちょっとはあるか?)
いまやらないで、いつやるんだ?
私がやらないで、誰がやるんだ?
それくらいの気持ちじゃないと、無理の波を押し返せませんものね。

無理かどうかは、やってみてから自分で決めよう、というのがこの年になって獲得した知恵です。もっと早く獲得できていたらもっとおもしろいことできたかもしれないけれど、今からでも遅くないはず。