自分で言うのもなんだけれど、私はがんばりやです。努力家です。どんなこともついついがんばってしまい、なんとか「できる」ようになろうと努力してしまう。
でも、60歳を過ぎてから、自分の持てる体力、時間、精神力、集中力の限界をはっきり感じて、どんなことにもがんばるのは無理だとやっと気づきました。
だから苦手なこと、嫌いなことについては、できるようになろうとか、せめて理解はしようとか、できれば好きになろうとか、がんばるのをやめました。
たとえば、球技、数字に関すること、経済のしくみ、物理学、車の運転、地図を読むこと、温泉めぐり、賭け事、テーマパーク、ペット、ゲーム、どれも苦手で好きじゃないとわかったので、残りの人生はこれらを避けて生きていこうと思います。
ついでに、合わない人に合わせる努力、みんなに好かれようと頑張ることも、やめたいです。
肌が合う人、話をしていておもしろい人、好きな人とつきあっていきたい。もうそれが許される年齢と環境にある、と自分に言い聞かせています。自分に言い聞かさないと、つい好きになろう、好かれたいと必死に努力をしてしまい、でも好きになれなくてストレスがたまり、好かれなくて悪口言われて落ち込んだりする。もうそういうの、やめようと思っています。
思えば、学校生活で何がたいへんだったかというと、苦手なことや嫌いなことを強制的にやらされて、できないと「落ちこぼれ」の烙印を押され、コンプレックスに苛まれたことが一つ。
もう一つが、たまたま同じ学校に通い、机を並べただけという縁なのに、「みんなと友だちになりましょう」とこれまた強制されたことです。小学校入学時に歌わされる「♫友だち100人できるかな〜」って歌は、ちょっとどうかなと思う。友だちがいっぱいいるほうが幸せという価値観を、少なくとも私の子どもや孫には押し付けないで欲しいな。
いろいろな価値観や考え方を持つ人がいることを知るのはとても重要だと思うし、価値観や考え方が違っても、好きな人は好きです。でも、価値観や考え方とは別の次元で「合わない人」っていうのが私にはいます。ほかの人は違うのかな? どうしても合わない、どうしても好きになれない、という人とは距離を置きたい。地球半周分くらいの距離を置いて、できるだけ考えないように努力したい。あ、また努力しちゃうんだな、自分。
好きなことならがんばれる、とよく言われるけれど、私の経験では好きなことだけに、がんばりの成果が見えないとよけいにつらいです。好きなこと=できること、才能があること、成長できること、じゃないからね。こんなに好きなのに、なんでこうもできないんだろうって筆を持つたびにストレスです。
好きな人に好かれないのがつらいのと同じようなもの。
でも、残りの人生、好きなことをがんばって、好きな人に好かれるように努力していきたいです。

いきなり話が飛びますが(いや、飛ばないか)、ガンバが好きだからこそ、成績がふるわないとすごいストレスですよ。しかも私の努力のしようがないからね。2日後の大阪ダービー、今からすでに胃が痛いです。
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好きなことの一つが料理です。料理の幅を広げたくて、1年前に断捨離したのに、ついまた食器を購入してしまいました。ガンバブルーの八角皿。ガンバの末広がりを祈って、今夜はこの皿に豚肉料理を盛ってわしわし食い尽くします。