倉田選手は脳震盪と頬骨骨折という重傷であることがクラブより発表がありました。攻守の要ともいえる倉田選手のこの段階での離脱は痛い、という論調でメディアは報じていますし、サポとしてもそれはもちろんそうだとも思うのですが、一方で、問題はそこじゃないだろうと叫びたくなる私です。
 この件にかぎらず、サッカー界、だけじゃなくスポーツの世界全体で、スポーツによる怪我や病気について真剣に考えたほうがいいのではないでしょうか。サッカーに怪我はつきもの。防げない怪我もある。その意見もわからないでもない。でも、防げる怪我のほうがずっと多いのではないか。
 防ぐために、まず目を向けるべきなのが、監督、指導者、コーチと呼ばれる上に立つ人、絶対の権力を持つ人たちが、選手たちにかける言葉だと私は思っています。
 その昔、私は水泳をしていました。昔懐かし水練学校というのに通っていたのです。タイムがよかったので地域の大会に出場することになり、通常の練習のあとに追い込みで二部練をしていました。これがきつかった。最後のダウンまでタイムを計り、決められたタイムを超過するともう50メートル、100メートルの「罰泳」があるのです。1960年代です。前の東京オリンピックのあとで、「根性」と呼ばれるめちゃくちゃな精神論が、根拠のある理論よりはるかに幅を利かせていた時代です。タイムが届かないと「根性が足りない」と言われ、挙句に「ふざけんな」「死ぬ気で泳げ」とプールに沈められました。
 いつまでも帰ってこない娘を心配した父親が迎えにきて、その言葉を聞いたとき顔色を変えました。 
 コーチに詰め寄ることはしなかったけれど、迎えの車に私が乗ると開口一番「もうやめろ」と言いました。「え? いやだ! こんなに練習したのに大会出られないのはいやだ」と大泣きしたのですが、 口元を引き結んだ父は「とにかくやめろ」の一点張り。
 そのときは「またパパの横暴だ! 女の子がスポーツをするのに反対なんだ!」と怒りしか覚えなかったのですが、大人になって父親と一対一で話ができるようになってから、やっとそのときの父の思いがわかりました。
 戦前、10代のころ、父は水球の選手でした。 戦争が始まってからもしばらくはまだ続けていたそうですが、すぐに水球も水泳も日常から消えました。でも開戦前から試合も練習も殺伐とした雰囲気になり、コーチは二言目には「死ぬ気でやれ!」と過酷な練習を課したといいます。
 「死ぬ気でやれ、なんてことを平気で口にするようなコーチは、本当に人を殺しかねんから。勝つために人を殺せ、自分を殺せ、というのは軍隊の発想、戦争の発想だ」というのが父の言い分でした。 
 振り返れば、スポーツ界には軍隊の発想、戦争の発想が今も幅を利かせているのではないでしょうか?
 度重なる高校野球部の暴力や不祥事。
 大阪の高校バスケ部の部長の自殺。
 日大アメフト部の事件。
 湘南ベルマーレの元監督のパワハラ。
 もっと言えば、日中35度を超える酷暑の中で、マラソンや競歩を選手に強いるオリンピック開催だってその延長線上にあると私には思えるのです。
 「死ぬ気でやれ」
 上に立つ人、力を握る人たちが決して言ってはいけない言葉だと思います。
 死をスポーツと並列に並べないでほしい。
 怪我を精神論にすりかえないでほしい。
 スポーツを擬似戦争にしないでほしい。