今年65歳になったので、インフルエンザの予防接種の割引通知(?)が送られてきました。
 先日、その通知を持って近所の医院に行き、家族一同が長年お世話になっている先生に「ついに私も高齢者の仲間入りですよ〜。インフル接種の通知が来るようになりました」と言ったら、 先生から「おめでとうございます」と言われました。
「めでたいんですか?」と聞いたら、「そりゃめでたいでしょう! 無事に65歳になって、インフルエンザの予防接種が受けられるくらいの健康体ってことですよ。これがめでたくなくて何がめでたい」と言われたので、なーるほどそう言われればその通りだととたんにおめでたい気分になりました。
 ほかにも65歳になって役所から届く通知があれこれあり、受け取るたびに、そうか、私はいよいよ高齢者の仲間入りだよね、と痛感し、同時に「あと何年元気でいられるのか? 老後の準備をどうすればいいのか? 100歳まで生きたらみんなに迷惑をかけてしまうのではないか」とあせったり、考えこむことが何度もありました。遺書を書いておこうか、終の住処を探しておくべきか、いやその前にぼける前にやっておかねばならないことがたくさんあるではないか、とぐるぐる考えているだけで何もせず。
 あるときふと気づきました。どれだけ準備しても、どれだけ心積もりをしたところで、老いと死はそのとおりにやってきてはくれない、ということに。もちろん、ボケて迷惑をかけないように運動や食事に気を配るとか、いざというときには誰を頼るのかをあらかじめ決めて頼んでおくとか、少なくとも寝込むような病気をできるだけ避けるように心がけるとかは最低限としても、こういう風に老いていきたい、とか、こういう死に方がしたい、とかはたいてい外れるのではないか。
 65歳になったとき、「あと20年は『現役』として社会に関わっていきたい」と真剣に思ったし、このブログでも書いたと思います。でも、それは願望でしかなくて、強い意志を持って宣言できることではない、ということを思い知らされる出来事にたくさん出会うのが高齢者です。やりたいことをやって、行きたいところに行って、人の役に立てるひとでいられるのはあと何年、と数えてみたところで、あまり意味がない。
 それよりもとにかく今日の自分ができることをがんばること。残された時間をかぞえたりせず、過ぎていった時間なんかもさっさと忘れる。いまできること、いまやりたいことをやることしかない、と自分に言い聞かせています。
 今年は実は仕事が忙しかったです。仕事を通じてたくさんの貴重な出会いがあったし、学んだこともたくさんありました(まだ今年は終わってないけれど)。いま発売中のVOGUEに「VOGUE Women of the Year」が発表になっていて、私は松任谷由実さんのインタビューを担当しました。今年一番、いや、これまでで一番すてきなお話が聞けたのですが、私と同い年の大スターが「デビューしたときからずっと、夢はOne More Song」ときらきらしたまなざしで言われたのに、大げさでなく、魂が揺さぶれるほど感動しました。「次の歌を作る、次のアルバムを出す、次のステージに立つ、それが夢」——そう言われたときに、私は目の前がぱーっと開けたような心持ちでした。
 いつまでできるんだろう? そんなことを考える暇があったら、いまやりたことをやれることに感謝して、いまやりたことをやるだけ。来年も仕事があるだろうか、なんて思い悩んでいるひまがあったら、自分で仕事を作っていこう、と思っています。