今年一番といっていいくらい嬉しかったのは、伊藤詩織さんの「勝訴」でした。記者会見を見ながら、思わず涙ぐんでしまいました。事件から4年半、裁判を起こしてから2年半の間に、伊藤さんが味わった思い、受けた仕打ちがこの判決でぬぐいさられるとは決して思わないけれど、少なくとも、伊藤さん側が訴えた「合意なき性行為」が法的に許されない犯罪であることが明確に示されたこと、そして伊藤さんが自ら声を上げ、支援者の人たちとともに起こした訴えに公益性があると裁判所が認めたことは、一つの大きな進歩だと思っています。
2017年10月に刊行された「Black Box」(文藝春秋)をすぐに購入しながら、なかなか読む勇気が湧いてこなくて3ヶ月ほど置いてました。あるとき、ふと手にとって「はじめに」を読み始め、頭がくらくらするほどの衝撃を受けて一気に読み終えました。なぜこの本を伊藤さん自身が書かねばならなかったのか、なぜ身を切るような思いをしながらも、書かねばならなかったのか。読みながら痛かったです。
伊藤さん個人に起きた「事件」としてすませてはならない。一応、法治国家であるはずの日本で、「合意なき性行為」という犯罪が犯罪と認められるために「被害者」が高いハードルを超えなくてはならないのは、どう考えてもおかしい。この本は私にも、あなたにも、誰にでも起きうる犯罪の恐ろしさを示す本です。
伊藤さんの「勝訴」後の記者会見を見てから、もう一度「Black Box」を開きました。事件のあらましよりも、私には合意なき性行為が犯罪として成立するまでの難しさと、かつ起訴に持ち込むまでにあるブラックボックスの恐ろしさ、そして性犯罪に対して向ける日本社会の歪んだ視線が衝撃でした。もしもまだ読んでいない方がいらしたら、ぜひぜひ読んでほしいです。
おそらく「Black Box」に触発されたのだと思いますが、昨年から今年にかけてフェミニズム関連の小説やノンフィクション、エッセイを多く手にとったと思います。
その中から私の頭と心にずしんと響いた本をあげておきます。
「私たちにはことばが必要だ〜フェミニストは黙らない」
イ・ミンギョン著 すんみ/小山内園子訳
性差別者(セクシスト)、また性差別的な言葉をかけられたときにどう対応するか、ということを具体的に示した「解説書」
ことばの暴力が、からだへの暴力につながっていること。だからことばの暴力をあいまいに流していると、それがときには殺人にいたるまでの暴力を誘発することを教えてくれます。
ことばとジェンダーについては、以下の本からも多くを学びました。
中村桃子著「<性>と日本語」(NHK出版)
「女ことばと日本語」(岩波新書)
社会から無意識に植え付けられた性差別意識をことばにして発することが、性差別を助長していくことを教えてくれ、まずは気づいて歯止めをかけようという気にさせる本です。無意識に使っている「女ことば」が、実は比較的新しく(明治時代以降)作られたことばであって、しかも「男ことば」を使っていた少女たちが、社会から女ことばを押し付けられる、という指摘にはどきっとします。
「三つ編み」
レティシア・コロンバニ著 斎藤可津子訳
インドの不可触民の女性、シチリアで家族経営の毛髪加工会社を立て直そうとする女性、カナダのがん患者の女性の3人が、髪を通してつながっていく物語。女性であるというだけで社会的な弱者に置かれてしまうことに、やり方は異なっても抗って生きていく勇気に拍手をしたくなります。
「イジェアウェレへ フェミニスト宣言、15の提案」
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著 くぼたのぞみ訳
もうね、私はアディーチェとくぼたさんの大ファンですよ。新刊出たら必ず教えろ、とAmazonに命じてある。それはともかく、娘をさずかった親友に向けて、「どうしたら「女だから」という理由で降りかかる、理不尽でマイナスな体験をさせずに子育てができるか?」という15の提案をアディーチェが書き送ったエッセイ。1つひとつの提案にうなずくしかない。
「掃除婦のための手引書」
ルシア・ベルリン著 岸本佐知子訳 講談社
1936年アラスカで生まれた作家の短編集。親も自分もアルコール依存症、各地を転々とし、3回結婚するもすべて離婚。シングルマザーとして4人の息子を掃除婦、看護師、高校教師などをして育てながら数多くの短編を残した作家です。これがフェミニズムの本にあたるという意見には反対されるかもしれないけれど、私には女性として生きていくことの喜びと困難さを率直な言葉でつづったその一言ひとことが胸にしみました。
「女性のいない民主主義」
前田健太郎著 岩波新書
女性の政治家がほとんどいない、女性を政治から締め出してきた日本の政治は、男性にとって(のみ)重要な事柄のみを扱う「男性の政治学」に過ぎず、それは民主主義とは呼べないのではないか、というテーマで「男性」の政治学者、行政学者が書いた本です。なぜ女性が政治から締め出されているのか、について歴史的に、また国際社会との比較において論じています。
伊藤詩織さんの訴えがなぜ不起訴になったのか、根本的な原因は、日本が、男性の、男性による、男性のための政治でしかないことにある、と知ると腑に落ちます。
最後に女性に対する暴力に対する法改正に立ち上がったチリの女性たちのデモが世界中に広がっている、というBBCニュースの画像を貼り付けます。私にとって、今年を象徴するニュースでした。
2017年10月に刊行された「Black Box」(文藝春秋)をすぐに購入しながら、なかなか読む勇気が湧いてこなくて3ヶ月ほど置いてました。あるとき、ふと手にとって「はじめに」を読み始め、頭がくらくらするほどの衝撃を受けて一気に読み終えました。なぜこの本を伊藤さん自身が書かねばならなかったのか、なぜ身を切るような思いをしながらも、書かねばならなかったのか。読みながら痛かったです。
伊藤さん個人に起きた「事件」としてすませてはならない。一応、法治国家であるはずの日本で、「合意なき性行為」という犯罪が犯罪と認められるために「被害者」が高いハードルを超えなくてはならないのは、どう考えてもおかしい。この本は私にも、あなたにも、誰にでも起きうる犯罪の恐ろしさを示す本です。
伊藤さんの「勝訴」後の記者会見を見てから、もう一度「Black Box」を開きました。事件のあらましよりも、私には合意なき性行為が犯罪として成立するまでの難しさと、かつ起訴に持ち込むまでにあるブラックボックスの恐ろしさ、そして性犯罪に対して向ける日本社会の歪んだ視線が衝撃でした。もしもまだ読んでいない方がいらしたら、ぜひぜひ読んでほしいです。
おそらく「Black Box」に触発されたのだと思いますが、昨年から今年にかけてフェミニズム関連の小説やノンフィクション、エッセイを多く手にとったと思います。
その中から私の頭と心にずしんと響いた本をあげておきます。
「私たちにはことばが必要だ〜フェミニストは黙らない」
イ・ミンギョン著 すんみ/小山内園子訳
性差別者(セクシスト)、また性差別的な言葉をかけられたときにどう対応するか、ということを具体的に示した「解説書」
ことばの暴力が、からだへの暴力につながっていること。だからことばの暴力をあいまいに流していると、それがときには殺人にいたるまでの暴力を誘発することを教えてくれます。
ことばとジェンダーについては、以下の本からも多くを学びました。
中村桃子著「<性>と日本語」(NHK出版)
「女ことばと日本語」(岩波新書)
社会から無意識に植え付けられた性差別意識をことばにして発することが、性差別を助長していくことを教えてくれ、まずは気づいて歯止めをかけようという気にさせる本です。無意識に使っている「女ことば」が、実は比較的新しく(明治時代以降)作られたことばであって、しかも「男ことば」を使っていた少女たちが、社会から女ことばを押し付けられる、という指摘にはどきっとします。
「三つ編み」
レティシア・コロンバニ著 斎藤可津子訳
インドの不可触民の女性、シチリアで家族経営の毛髪加工会社を立て直そうとする女性、カナダのがん患者の女性の3人が、髪を通してつながっていく物語。女性であるというだけで社会的な弱者に置かれてしまうことに、やり方は異なっても抗って生きていく勇気に拍手をしたくなります。
「イジェアウェレへ フェミニスト宣言、15の提案」
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著 くぼたのぞみ訳
もうね、私はアディーチェとくぼたさんの大ファンですよ。新刊出たら必ず教えろ、とAmazonに命じてある。それはともかく、娘をさずかった親友に向けて、「どうしたら「女だから」という理由で降りかかる、理不尽でマイナスな体験をさせずに子育てができるか?」という15の提案をアディーチェが書き送ったエッセイ。1つひとつの提案にうなずくしかない。
「掃除婦のための手引書」
ルシア・ベルリン著 岸本佐知子訳 講談社
1936年アラスカで生まれた作家の短編集。親も自分もアルコール依存症、各地を転々とし、3回結婚するもすべて離婚。シングルマザーとして4人の息子を掃除婦、看護師、高校教師などをして育てながら数多くの短編を残した作家です。これがフェミニズムの本にあたるという意見には反対されるかもしれないけれど、私には女性として生きていくことの喜びと困難さを率直な言葉でつづったその一言ひとことが胸にしみました。
「女性のいない民主主義」
前田健太郎著 岩波新書
女性の政治家がほとんどいない、女性を政治から締め出してきた日本の政治は、男性にとって(のみ)重要な事柄のみを扱う「男性の政治学」に過ぎず、それは民主主義とは呼べないのではないか、というテーマで「男性」の政治学者、行政学者が書いた本です。なぜ女性が政治から締め出されているのか、について歴史的に、また国際社会との比較において論じています。
伊藤詩織さんの訴えがなぜ不起訴になったのか、根本的な原因は、日本が、男性の、男性による、男性のための政治でしかないことにある、と知ると腑に落ちます。
最後に女性に対する暴力に対する法改正に立ち上がったチリの女性たちのデモが世界中に広がっている、というBBCニュースの画像を貼り付けます。私にとって、今年を象徴するニュースでした。
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