1990年2月にフリーランスになって以来、自宅を仕事場にして、まさに職住一致の生活をしています。時代を先取りしていた? いえいえ、そうではなかったことに、いま気づきました。
会社勤務の14年間中11年間は、一週間5日、朝7時に家を出て、自宅→保育園→満員電車に揺られて職場→夕方5時に会社をとびだし、またもや満員電車と自転車で保育園か学童かお稽古ごとの教室に駆けつけて子どもをピックアップし、買い物をして夜7時すぎに帰宅する日々でした。さすがにそんな日々にヘトヘトだったので、退職したら「明日からは外に布団が干せる〜〜! スーパーの閉店を気にしないで買い物に行ける〜〜(1980年代、地元の商店街とスーパーの閉店は7時でした)」と思ってほっとしました。このときは「私は新しいワークスタイルをおくるのだ!」「仕事と家庭のバランスがとれるようになるのだ」と期待していたところがあります。
しかし甘かった。
時代はバブルがはじけたばかりで、おかげさまで仕事は引きも切らずありました。でも個人営業は一人で何もかもやらなくてはならない。仕事は会社にいたときよりもはるかにたいへんで、時間も労力もとられました。起床時間は会社勤めのときと同じく6時前で、子どもの弁当作りから洗濯、掃除をすませて、子どもを学校や保育園に送っていくと、自宅に駆け戻って仕事。土日関係なく、毎日12時間はPCの前に座って必死にキーボードを打ち続け、その合間に打ち合わせか取材か会議で出かける日々。仕事があってとてもありがたかったけれど、いま振り返ると自由業ながら(自由業だからこそ?)ほぼブラックな働き方をしてきたのだと思います。ワークライフバランスは少しも改善されませんでした。
60歳間近になるころ、翻訳業や文筆業がパッとしなくなって、仕事をやめようかな〜〜〜という思いがよぎるようになりましたが、やはり家で一日中家事をしてのんびりすごすっていうのはまったく性に合わず、仕事したくて、「営業」と称してあちこち出かけて人に会ったり、ときには海外まで出かけたりしていました。またもやワークライフバランスの改善は先送りです。

ところが、新型コロナウィルスの感染を広げないため、ということで、最近は不要不急ではない用事がないかぎり、在宅せざるをえません。30代から50代までのもっとも忙しい時期に、あれほど望んだ「一日中家にいる」ことが(予想していなかったショックな理由ながらも)できるようになったのです。在宅で仕事をしてきたにもかかわらず、在宅しなくてはならない、という縛りができての在宅状態は初めてで、あれほど望んできたライフスタイルが始められるチャンスなのに、私はとまどっています。
家にいるのが好きではありますが、出かけることに躊躇して家にいるのは、それなりにストレスを感じます。たぶん私のワークライフバランスに対する意識が切り替わっていないからでしょう。
そこで、ここ最近(っていっても本格的に在宅を基本にしたのは10日間くらいですが)、このストレスを少しでも軽減し、ワークライフバランスをとるために私が心がけていることを書いておくことにしました。「え? そんなことが?」というようなことです。仕事ではZoomで会議や取材をするとか、テレワークの方法を実践するとかありますが、それは専門の方に任せることにして、私は「ライフ」つまり、日常生活における意識変革の話です。

1)保存食を作る。
幸いにして、食品の供給は滞っていません。でも毎日買い物に出かけると無駄なものも買ってしまいがちだし、買いだめなんてとんでもないと以前から考えているので、保存食といってもあらたに何かを買うことはさけています。
使う食材は、毎週生協で届く食品のみ。新鮮なうちに食べられるのはたかが知れているので、使いきれない食材を最低でも一週間は食べ回しができるようにある程度調理して、保存しています。安くなった甘夏やいちごでジャムも作りましたが、ジャムってそんなに食べられるものじゃないので、いまいちおもしろくないし、役立たない。
だから精力を傾けているのはもっと日々の食卓に登場しやすい「保存食」です。(保存食とはいわないか?)
アイデアは以前もここで紹介した「賢い冷蔵庫」(瀬尾幸子著・NHK出版)と、「ごちそうマリネ」(渡辺麻紀著・河出書房新社)からもらっています。下ごしらえにプラスアルファして保存しておくことで、食卓のバラエティを豊かにするし、何よりも「達成感」が即座に得られてうれしいし、新しい味の発見もあったりして楽しい。外食をするのがむずかしい今こそ、レシピを増やして、気分を豊かにしたいです。

2)手紙を書く。
きっかけは、高齢者施設で一人で暮らす母にコロナウィルスのために会いにいくことができなくなり、やむなく手紙を出したら、思いの外喜んで、それまで険悪になっていた親子関係がわずかながら好転したことでした。
スマホに乗り遅れて、ガラケーの電話とショートメールだけがかろうじて使える母から、早朝深夜かまわずかかってくる電話に私はこの1年ほど悩まされてきました。しかも、自分が電話をかけたことも電話がかかってきたことも半日たつと忘れてしまうので(履歴の見方がどうしても覚えられない)、「なぜ電話をくれないのだ?」という電話が毎日続く、という笑えない状況で、親子関係は悪化する一方。
それがわずかながら好転するきっかけを作ってくれたのが、手紙でした。以前から手紙は送っていたのですが、手紙を送ったよ、としつこく電話で繰り返しいわないとポストを見にいかないし、ポストから取った手紙をどこかに置いたまま忘れてしまい、手紙なんかもらっていない、と言い張ってまた親子げんか。
でも、コロナウィルスのために外出が禁止になり、施設の体操教室や麻雀クラブがおやすみになって、いよいよすることがなくなったために、ようやく母には手紙を取りに行って読む、という余裕が生まれたのです。
来週、小学校に入学するお孫からも手紙をもらうようになりました。まだ鏡文字も多いし、どちらかといえば文字よりも絵で伝わってくる情報のほうが多いのですが、それでも手紙をもらうととても嬉しくて、すぐに返事を書いてしまいます。
そういうわけで、久しく忘れていた「手紙を書く」という楽しみを見直しています。
メールができる人にも、手紙を書くことでまた新しい関係が築けていきそうな予感もあります。

この2つはいずれも小さなことですが、私にとっては在宅が楽しくなって、ストレスを感じないでいられるための方策なのです。
なぜストレスを感じないでいでいられるか、というと、「効率」とか「時間短縮」とかを考えるのをやめた行為だからです。ぱぱっと効率よくできることを、しない。役に立つことを第一に考えない。少なくともライフ=生活においては、効率、時間短縮、生産性をかかげないことで、ストレスが減って、かつ家にいることが楽しくなるのだと思います。

COVID19に感染して苦しんでいらっしゃる方はもちろんのこと、感染症や病気だけでなく、経済的なこともふくめた先行きの不安を抱えながら過ごしていらっしゃる方には、まだ春は遠いと感じられていることと思います。
でも、COVID19の感染はいつか必ず終息します。それまでの間、私にできることは、在宅で過ごすこともふくめて、私個人ができる感染予防対策を十分にとって、いま苦しんでいらっしゃる方々、そして医療従事者の方々に祈りと感謝を捧げつつ、日々をたいせつに過ごしていくことだと考えています。
17E25E52-6420-4FC7-8FB9-C5BD9EEFB15A
(先日のなごり雪が降った日の桜風景。ある意味、今年らしい桜だったのかもしれません)