ヴィッセルとセレッソで新型コロナウィルス 感染者が出たことを受けて、ガンバ大阪はスタッフと職員全員を17日間の自宅待機と通告したそうです。4月14日までとありますが、また延期になるかもしれません。京都サンガだけがずっと練習しているそうですが、地域差もあるのでしょうか。
試合がいっさい行われていないいま、週末に私はほぼ自宅で過ごしています。でも土曜日の朝目覚めると「今日はほんとは試合のある日だったな〜〜」とか「去年までは飛び上がって喜んだり、落ち込んだりしていたんだな〜〜」とか思って、少し寂しい気持ちになります。
パンデミックのいま、たかがサッカーのことで落ち込むなんてあまり大きな声では言えない、ということはわかっています(と言いながらブログに書いているのですが)。サッカーだけでなく、ほかのすべてのスポーツとスポーツ観戦が中止。財政的な困難にぶつかるクラブが多く出るのではないか(実際もう出ている)とそこもたいへん心配しています。

Jリーグとプロ野球の試合が延期され、悪くすると今シーズンはもう無観客試合にするしかない、いやそれもできないのではないか、リーグの再開はかなり厳しいのではないか……という声までささやかれる中で、いまあらためて「スポーツの社会的意義」みたいなことを考えています。
つまり、スポーツって社会にとって「不要」な存在なのだろうか? とか考えてしまうのです。
スポーツの試合だけでなく、現在公演中止となっている音楽のライブやコンサート、演劇やバレエなどの舞台パフォーマンス、 美術作品などの鑑賞、そういった「生」「ライブ」「リアル」なものを見たり聴いたり楽しんだりする行為は、これからいったいどうなるのでしょうか? 
感染を広げないためにたいせつなのだ、命と社会を救うためにはやめるしかないのだ、とわかっています。でも、スポーツや音楽、パフォーマンスで生計を立てている人は大勢います。試合や公演が中止になって、たちまち生活に困る人が出てくるし、倒産するクラブや企業や劇場はたくさんあるはず。再開のめどが立っていない今、大きな不安を抱えて過ごしている人たちは大勢いらっしゃるでしょう。そういう人たちへの救済が示されないままでは、感染症が収束したあとに、この社会の文化活動すべてにどんな影響がでるか、考えるとこわいです。
ここ一週間ほど、日経新聞の下段には大学受験予備校の広告がほぼ毎日掲載されています。調べてみたところ、「医学部合格○名」とうたっているところが半分以上ありました。もちろん医師志望者が増えることはいいことだし、どんな時代でも医師はたいせつな職業であり、社会を支える存在であることはまちがいない。それはよくわかっています。
でも、広告の上段の記事では、スポーツインストラクターやミュージシャンやレストランオーナーたちの、生活が立ち行かなくなっているという声が掲載されています。
記事を読み、広告を眺めた私は、うがった見方かもしれませんが、ある種の「脅し」を感じています。
「医師はどんなときでも社会から求められている職業だけれど、スポーツや音楽(そして私のような文筆業も)なんかは緊急の場合には真っ先に切り捨てられる職業だ」

試合観戦も音楽ライブを聴きにいくことも、平和で安全な社会でこそできることです。平和と安全を取り戻したときに、試合や音楽でまた感動が味わえることを願ってやみません。そのためにも、すばらしいプレーや優れたパフォーマンスを披露してくれる人たちを、こういう緊急事態にこそ守る指針をとくに政府と行政に示してほしいと思います。
スポーツも音楽も本も映画も演劇も、たしかにいまは不要不急でしょうが、社会にとって、いや人間にとってぜったいに必要なものだ、と私は信じています。

と、ここでさっき見つけたスティーヴン・キングのすてきメッセージを貼り付けます。
「もしアーティストが不要だと思っているのなら、隔離期間を音楽や本、詩、映画や絵画なしに隔離期間を過ごしてみたら」
私はここに「たとえ録画でもガンバの試合観戦なしに在宅隔離時間を過ごせますか?」とガンバサポに問いたいです。
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ついでに、フランス国立オーケストラの団員たちが、ネットを通じて演奏しているボレロの動画も貼り付けておきます。もちろんすばらしいパフォーマンスなんだけれど、よけいに生で聴きたくなります。