5月4日(月)
3月半ばにスマホの電源を外出時以外は切ることを決断した。緊急事態宣言が出て不要不急の外出をやめたらスマホの必要性をあまり感じなくなったこともあり。このままスマホを解約しちゃうかも(てなことはたぶんないでしょうが)。
スマホの電源を入れるのは早朝太極拳道場に行く間、およそ2時間ほどだけ。家ではタブレットがあるので、メールやLINEやメッセージは読めるし、Zoomやスカイプでビデオ打ち合わせもできる。外出時だけ、もしものことがあってはと電源を入れて持参するけれど、在宅勤務を徹底したら、はたしてスマホはどこまで必要なのだろうか? 電話もLINEでできるわけだし。
スマホの電源を切るようになったのは、母との電話がお互いにストレスになったからだ。電話で話していると意志の疎通に困難を感じるようになったのが2年ほど前。30秒前に言ったことを忘れてしまい、5分間の電話で同じ話を10回は繰り返し、挙句に「なんで私が聞いたことにちゃんと答えないのか!」と怒る。夢と現実がごっちゃになってしまうのか、朝6時すぎの電話で私への恨みつらみを聞かされてうんざりすることが続き、ついに外出時以外はスマホの電源を入れないことにしたのだ。
かわりに母に手紙を書くことにした。1日おきに1通書き、たまに服や花を贈って、「今は会いにいけないけれど、忘れているわけじゃないし、こちらはみんな元気だ」というメッセージを送り続けている。親孝行なわけではない、決して。電話では気持ちが伝えられず、会いにも行けないこの状況で、なんとも歯痒く後ろめたい気持ちをごまかしているだけだ。
母は最初は電話をかけ続けて、通じないことに怒りのメッセージを留守電に入れていたようだが(それも聞かないことにした)、一週間たってやっと諦めたのか、母も手紙をくれるようになった。
そうしたら驚くなかれ、話が通じることがわかったのだ。電話で会話している人と同じ人物とは思えないほどで、書かれている内容はつじつまがあっているし、文章もちゃんとしている。妄想ももちろん書かれていない。周囲への感謝と気遣いも感じられるし、新型コロナウィルスという言葉も書かれている(電話では「風邪」と言い続けていた)。実際に顔を見て話をしているときも、話が通じないことが多くてまいっていたのだが、手紙だと「話が通じている」とほっとする。私が出した手紙の内容も理解して、問いかけにたいしてちゃんと返答を書いてくるのだ。
これは何を意味しているのだろう? 音からの情報では混乱するけれど、文字になれば頭が整理できるのだろうか? 
というわけで、今日は母への手紙だけでなく、お孫たちや友人たちにも手紙を書いて投函した。

夕飯はいわしの生姜煮、ポテトサラダ(まだ終わらない)、白菜そのほか野菜のベーコンスープ

5月5日(火)
外出規制が出されて以来、メディアでは「孤独感」が取り上げられることが多くなった、ような気がする。感染者数の多い東京など大都会では、一人暮らしの人も多く、コミュニティの結びつきが希薄で、孤独感が強まる、という趣旨のトピックがネットでもよく見られる(私はテレビをみないので、メディアというときには新聞かSNSなんだが)
その解消法として、SNSやネットの利用、オンラインでビデオ会話して、と提案されている。SNSやオンラインビデオなどを利用していれば、たしかに自分は一人ではないことが実感できて、不安はやわらぐ。私もFacebookやTwitterに投稿して、反応があるとほっとする。とくに一人旅に出ているときには、こんなことした、あんなもの食べた、おもしろかった、ショックだった、といちいち自分の活動を投稿して、存在を確かめ、孤独感を癒している。
だが、最近「一人になりたい〜!」というぜいたくな願いが湧き上がってくることがある。夫が在宅勤務になってからというもの、「頼む! 私はいないものと思ってくれ!」と切実に願うようになり、それはたぶん夫も同じなので、日中はできるだけ顔を合わさないように、声も聞こえないように、お互い気配も消して生活している(でも、水を飲んだり、トイレに行ったりするとどうしても顔を合わせてしまうのだけれど)
孤立は精神衛生上よくないが、孤独は精神衛生上必要なのではないか。
3月末の緊急事態宣言以降、スマホの電源を入れず、タブレットそのほかを全部別の部屋に置いて一人でどこか(私の場合は3畳のもと物置)に数時間閉じこもる、という日を意図的に作るようにしている。閉じこもって何をしているかというと、ぼーっと外の景色を眺めるでもなく眺めていたり、瞑想まがいのことをしてみたり。
SNSを断ち、音楽を聴かず、人の声も聞かず、活字からも離れ、ただ自分のからだの声に耳を澄ますだけ。世界に自分一人だけしかいないような感じがしてくる。
今日はそんなぜいたくな気分を数時間味わってみた。

夕飯は白菜と豚バラの重ね蒸し、白菜のおひたし、白菜そのほか野菜のベーコンスープ(やっと白菜を食べ終わった。白菜4分の1玉を2人で食べきるのにえらく苦労した)
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(お孫製作の鯉のぼり画像が送られてくるまで、子どもの日だってことをすっかり失念していた。子どもたちが元気にスクスクと成長する世界にするのが大人の責任ですね)

5月6日(水)
4日に外出規制が5月末まで延期することが政府から発表された。これで3回目の延期。
外に出かけるなと言われても、出かけないと仕事にならない人たちのほうが多く、仕事をしないと生活が成り立たない人が大半のいまの日本社会では、補償なしの外出規制は酷だ。たぶん明日から普通に仕事に戻る人が多いだろうなあ、と思いながら雨の街をひとめぐり。

5月4日にNHKBS1で放送された「北京の春 市民たちは〜コロナ危機を生きる」というドキュメンタリーを録画で見た。4月30日に外出規制が解かれた後も、まだマスクは外さないし、恐る恐るの市民たちではあるけれど、コロナ後を見据えての経済活動をどうまわしていくかを必死に考えて行動している人たちに注目した内容だった。
もちろん中国は広いし、格差も大きいというから、北京に住んでいるある意味特権的な人たちの話かもしれない。それにしても、登場する人たちが皆、とにかくたくましくて、ポジティブなのだ。つぎの感染拡大も見据えて、コミュニティの見直しや、デジタルでの健康管理(そこまで個人情報を官憲に渡してしまっていいのかとそこはちょっと引いたけれど)、これまでやってきたビジネスが先行きあやしいと思ったら、それを捨てて新しいビジネスに切り替えるいさぎよさとか。
以前に『台湾海峡一九四九』(龍應台著、天野健太郎訳 白水社)を読んだときも思ったけれど、中国の人たちのへこたれなさというか、生き抜こうとするそのたくましさに圧倒される。転んでも、転ばされても、ただでは起きないし、転ばした相手への恨みのエネルギーをポジティブに転換するところもすごい。
理不尽だ〜とか嘆くのは誰かに任せて、とりあえず自分はつぎ行くよっ❗️ という姿勢は見習わなくては。
夕飯はめずらしくラザニアもどきを作ってみた。鶏肉やきのこ類、ブロッコリをトマトソースで煮込んで、マカロニと混ぜ合わせ、ベシャメルソースとチーズをのせてオーブンで焼いた。キャベツ、にんじん、きゅうりと新玉ねぎの塩もみサラダ

5月7日(木)
私は長らく家で仕事をしていて、ステイホームが常態なので、家にいる時間が長いと退屈したり、運動不足になったり云々ということを言われても今ひとつよくわからない。
でも、友人がNetFlixで『コンテイジョン』(Rikaさんからのご指摘で間違いに気づきました。コンテイジョンをみようと思ってNetFlixに入ったのに、その前にヒョンビンに行っちゃったのが間違えた原因ですね)という映画を観て、今の世界の感染状況が予言されてたことに驚いた、という話を聞き、やっと重い腰をあげてNetFlixに登録してみた。
それで最初に観たのが、 『愛の不時着』という韓国ドラマ。 という韓国ドマ韓国のばりばりのビジネスウーマンが、パラグライダーで竜巻に巻き込まれ、北朝鮮に不時着してしまって、北朝鮮の国境を守る美形中隊長と恋に落ちる、というストーリー。まだ1回しか観ていないので、はたしてどうなるのかわからないけど、たぶんこのまま観続けてしまいそう。
なんでよりにもよって初のNetFlix体験にこのドラマを選んだかというと、ヒョンビンが主演だから。『私の名前はキムサムソン』以来、ヒョンビンのファンなんです。
おもしろそうなドラマなんだけれど、このタイトルだけはどうにかしてほしい。『愛の不時着』って、なんともべたつくし、こっぱずかしい。

夕飯は買ってきた握り寿司、豆腐とナスとネギの味噌汁、塩もみサラダ
作るのはまだしも、自分で作ったものを食べることに飽きてきたので、たまにはいいよね。