下の子が高校を卒業して朝のお弁当作りから解放されたとき、やれやれ、これで朝ゆっくり起きられる、と思って心底ほっとしたのを覚えています。それ以来、ずるずると深夜まで起きて本を読んだりテレビを見たり、ビールを飲みながら録画しておいた映画を見てからようやくベッドに入り、そこからまた本を読んでそのまま朝の雀の声を聞いて眠るとか、こと就寝と起床に関してはめちゃくちゃな生活を送ってきました。
 それが今年は一変し、いきなり早寝早起きの元子さんになったのです。原因は3つ。1つは認知症が進行した母が昨年から早朝深夜を問わず電話をかけてくるようになり、「夜は電話をしてくるな」と対面で言い聞かせても、電話で怒鳴っても、手紙で切々と訴えても、夜中の2時3時、時には早朝4時5時から電話が鳴り響くようになり、ついにケータイも家電も夜は電源を切るようにしたことです。2つ目に、新型コロナウィルスの感染拡大で外出が制限される中、人とあまり接触しない時間帯に体を動かしたいと早朝に公園までウォーキングして太極拳をし、帰ってきてからゆっくり朝食をとる習慣がようやく身についたためです。 3つ目は、言うまでもなく、年寄りになったからです。何で年寄りはあんなに朝が早いのだろうと思っていたら、今は自分が年寄りになってよくわかるようになりました。幼児と同じで、お天道様に合わせた体内時計になっちゃうんですよね。
 夜10時〜11時に電話がかけられる機器の電源を切り、朝6時まで入れないことが習慣になると、電源切った途端に眠気が襲ってくる、というのはどういうことなのでしょうか?電子機器というのは、やはり現代人の睡眠に何らかの影響を与えているのかな?
 早寝はともかく、早起き(最近は5時に起きてしまう)になってこれまでまったく気がつかなかったいろいろいろいろなことに気づき、敏感になりました。
 1つは、音です。 
 早朝、人が活動を始める前に鳥や虫が早々と活動開始して、しかも日中よりも気のせいか活発に鳴き交わしていることに気づきました。朝目が覚めて、ベッドの中でセミや雀やよく知らない鳥や虫の声を聞いていると、大げさですが、そうかこの世界では人間も生き物の一つにすぎないのだなあということを実感します。生き物の声だけでなく、風や雨の音も早朝ははっきりと聞こえて、その日のお天気が予想できます。
 2つ目は、光です。
 日の出時刻が6時すぎになった今でも、明け方には夜の闇とは異なり、かと言って太陽が昇ったあととは異なる光があるのだ、ということにこの年まで生きてきて初めて知りました。 そして、私は夜から朝への移り変わりを示す光が割に好きです。というか、その光を見るとほっとします。自分自身も含め、さまざまな存在を主として視覚情報に頼って認知している私は、闇はやっぱり怖いのです。
 早寝になると、ベッドタイムの読書の楽しみが味わえなくなったのですが、代わりに早朝ウォーキングから帰ってきてコーヒーを飲みながら読書するようになりました。電灯の光のもとで読むのと、朝の太陽光のもとで読むのとでは、作品から受ける印象が大幅に違って(個人的な感覚に過ぎません)、そこがちょっと残念ではあります。でも読む本の種類は変わってないような気もするので、ま、いいか。
 ここ数日読んでいる本は「誓願」(マーガレット・アトウッド著 鴻巣友希子訳 早川書房)、「辻征夫詩集」(岩波文庫)。アトウッドの「請願」は「侍女の物語」の続きなんですが、朝の光の中で読むと侍女の物語よりもぐっとディストピア感が薄れて、希望の物語に思えます。