前にも書きましたが、母が8月から入院しています。コロナ禍のせいで病院は面会禁止で、たまにオンライン面会に行ったりしていますが、基本、9月に転院するときに数回会ったきり、実際の面会はできていません。9月に会ったときもしばらく私を認識するまでに時間がかかったので、それから2ヶ月たって私の顔がわからなくなっているのではないか、そしてたとえ私がわかったとしても、私が娘だと認識できるだろうかと不安です。
 昨年から母の老い、というか、記憶障害、というか、認知症は進行していたのですが、今回の入院で一気に階段を3段くらいおりてしまった感じがしています。この先どうなってしまうのだろう、と気持ちは暗くなるばかり。何をしていても、そのことが頭から離れない。楽しいことをしていても、こころから楽しめない。笑ってしまうと「笑っていていいのだろうか?」という声が心の片隅から聞こえてくる。1日30回くらいかかってくる母からの電話の着信音に、いちいちびくっとしてしまう。ガンバの試合だっておちおち見ていられないし、上の空になってしまう。
 たぶん、私は軽く鬱なのだと思います。自己診断ですけれど。
 それでも、仕事はしています。ほぼ毎日、5時間はPCの前に座っています。年末締め切りの書道の公募展に向けた作品制作も始めました。本も読んでいます。太極拳もしているし、ウォーキングも欠かしていません。
「いつもと同じ日常を送る」と決めたからです。
 6年前、父が入院したことが原因で母が精神的に混乱し、私に「仕事なんかしている場合じゃないでしょ! 仕事をやめてすぐにこっちに来て!」と懇願したので、何もかも放り出して母のそばに付き添ったことがありました。そして私は精神的肉体的に疲労困憊し、今から考えるとあのときもちょっと鬱になっていたと思います。
 あのとき「もういいや」と放り投げてしまったさまざまなことを取り戻すのに、5年かかりました。取り戻すのに何よりも苦労して時間がかかったのが「やる気」でした。
 そのときの教訓から「いつもと同じ日常を送る」ことを今も自分に課しているのです。
 仕事のあるなしにかかわらず、PCの前に5時間は座る。家事をさぼらない。からだを動かす。締め切りを守る(書道も含めて)。
 それをやめてしまったら、おそらく私は本格的な鬱になってしまうだろうという予感がします。
 正直にいうと、PCの前に座ることも、締め切りを守ることも、からだを動かすことも、家事をすることも、つらいです。やりたくないです。だってこころから楽しめないから。頭の片隅から「そんなことしている場合か?」という声が聞こえてくるから。
 でも、その声にしたがってしまったら、たぶん「やる気」はもう帰ってこないような気がします。
 いまが踏ん張りどき。恐れず、不安がらず、当たり前のように日常を送ること。そしたらまたやる気も戻って、こころから笑えるようになる、と自分に言い聞かせています。
 今日のウォーキング(というか書道のお稽古に行くときに遠回りをしただけですが)にいったときに見た紅葉(落ち葉?)です。こういう小さな「感動」も日常を送る上では大切ですね。
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