6年前、父を亡くして以来のごたごたで、私は「ストレス解消」と称して夜お酒を飲む習慣がついてしまいました。こんなことをしていてはいけない、と思いながらも、いったんついた習慣はなかなか断ち切れない。飲みたいかどうかなんか関係なく、夕飯の支度のためにキッチンに立つと、つい缶ビールのプルを引き抜き、プシュッ、プハーとやってしまう。2年前からアルコールにめっきり弱くなり、ワインや日本酒を飲むと頭痛がして手が出なくなったのですが、ビールは飲める。日が暮れると、条件反射のようにプシュッ、プハー……
そこにやってきたのが新型コロナウイルスです。本を読むと重症化しやすいのは、高齢者(私もしっかり入ります)、糖尿病、心臓疾患など基礎疾患がある人。そして肥満の人も重症化しやすいと聞いて蒼くなりました。私、毎晩の飲酒とつまみの夜食で、しっかり肥満に足を踏み入れていたのです。やばいです。
昨年6月、緊急事態宣言が開けようというとき、真剣に考えました。
感染を防ぐためにやるべきことをやるだけでなく、重症化しないためにもやるべきことをやっておかねばならない。私はまだ死にたくない。それ以上にいま私が重症化したら、周囲にどれだけ負担をかけるだろうか。考えただけでも吐き気がしそう。
そこにもってきて、母が入院して認知症を進行させるという事態が起こりました。何事もまずは本を読むことから始める私は、図書館で認知症関連の本を片っ端から借りてきて読みあさり(専門書も入れて20冊以上読んだ)、そこであらためて思ったのです。
「いまこの生活習慣を変えないと、私は認知症まっしぐらだ!」
母方の祖母も母も認知症になったということは、私もアミロイドβの制御ができなくなって、神経にとぐろのように巻きついて記憶やら運動やら認知やらの機能が落ちていってしまう可能性が高いのです。しかもアミロイドβの暴走は認知症発症の20年前からもうスタートしているというではないですか! もう始まっているかもしれないけれど、できるだけ進行を遅くするためにも今から生活習慣を変えよう!
という決意をしたのが昨年8月。そして実行に移したのが9月1日。今日でちょうど5ヶ月が経ちました。
まず、在宅しているときには遅くとも8時までに夕飯を終えて、翌朝8時まで水以外とらないことにしました。 12時間の軽い断食を毎日やるわけです。
お酒は最初の頃は一週間に1回、缶ビール350ml1缶だけとかにしようとか思って9月はまだ金曜日の夜に飲んでいたのですが、そういう中途半端なことをしてはいけないと思い、家で飲むのをやめました。 でも友達と会うときには飲むのを許しています。そこまできつく縛るのもどうかなと思って。
つぎにウォーキングを始めました。始めたころは、雨が降ると出かけるのを躊躇したり、疲れたとか仕事が忙しいという理由を探して玄関前で逡巡したりしていました。でも出かけるのをやめようかと迷ったときには、自分に「重症化と認知症はこわいでしょ」とつぶやいて結局靴を履いたのですが。
そうやって自分を脅して出かけていたウォーキングですが、 9月3週目あたりからだんだん歩くことが楽しくなってきました。ちょうど涼しくなってきたのもあり。最近は地図を眺めてはできるだけ人がいなさそうなコースを探して1時間以上歩いています。5ヶ月たったいま、歩かなかったのは3日だけ。リモート会議が長引いて深夜になってしまったときが2回と、大晦日でおせち作りに追われて疲れ果ててしまったときくらい。我ながらよく続いているなと思います。
そして5ヶ月たった今、ようやく肥満から脱出しました。BMIが3ポイント下がり、体脂肪率が4%下がり、皮下脂肪率が2%減り、骨格筋率が3%上がり、なんとか50代の体重に。あああ、肥満脱出嬉しい。
これを維持していくのはたいへんかもしれない、とは思います。
それに維持していったって、私は着実に年をとるからいろいろな機能は衰えます。認知症を発症しない、という保証なんかどこにもない。
それでもがんばったのは、まず20年後もできれば生きていたいし、できれば後悔したくないから。
ここまでがんばったけれど、ダメでした、というのであればしかたない。それは「宿命」だから受け入れるつもりです。やれるだけのことをやっておけば、結果はどうであれ後悔は大きくないのではないか、と思いたいです。
それにしてもね、あれだけ酒好きだった自分が何週間も飲まないでいられるし、たいして飲みたいと思わないとは、ちょっと今でも信じられない自分です。