人に何かをしてもらったり、頂き物をしたときには「ありがとう」とお礼を言う。それは社会生活を送る上で欠かせない、というのは当然だと思う。でも、何かをしてもらったり、プレゼントをもらったりしたら、そのお返しを「しなくてはならない」というのは、正直「そうかな?」という思うときがある。バレンタインデーにチョコ貰ったら、ホワイトデーにお返しするとか、それくらいならいいけれど(本当はホワイトデーのお返しも「やるべき?」と疑問なのだが)、モノでもコトでも贈りものに対して、必ず返礼をせねばならなくて、それを欠いたら社会人失格だとか、人格を疑うとか、そこまで責めたりしたら、人間関係はとてもぎすぎすとした嫌なものになってしまうのではないか。
 母方の一族は、とにかく「返礼」に厳しくて、モノを貰ったらその日のうちにお礼の電話をかけて、お礼状を出して、後日同じくらいのモノを贈るべきだ、と口うるさく言っていた。 自分たちが贈ってすぐにお礼がないと、口をきわめてその人を罵り、もうつきあいをやめるとまで言う始末。「お礼をせんとは非常識だ!」という母や祖母の声が今でも耳についているほどである。
 モノを贈られたら返礼の品を送り返すのは百歩譲ってまあそれも社会常識なのかもしれないと思ったりするのだが、たとえば人を紹介するとか、情報を教えてもらう(あげる)とかそういうことに対しても、返礼をするのが「義務」だと言って、同じコトを自分がお返しできないのであれば、 見合ったモノで返礼をせねばならない、という考え方には子どもの頃から私は疑問を持っていた。親切でやってくれたことに対してモノで返されることを相手はどう思うだろうか? 面倒くさいからつぎからは親切にするのをやめようと思うんじゃないか? しかもこちらが何か人に対して労をとった場合に、返礼がないとこれまた人非人のように罵る、というのはおかしいんじゃないか? と十代の頃から私は思っていたのだが、今でもつい返礼を期待して人に何かを贈る自分がいて、なかなか染み付いたものはぬぐえていない。
 しかし、である。親子の間で贈与→返礼の公式(?)は成り立つのだろうか? 「子どもの面倒をみたのだから、年老いた親の面倒を子どもはみるべきだ」という公式である。親子関係が(いつも必ず)無償の愛のもとに成り立つとは思ってはいないが、かといって子育て(教育含む)にかけるコストとエネルギーを、老後に子どもに返してもらおう、という発想で子育てするっていうのは、なんか(じゃなくて、かなり)おかしいと思う。理想論かもしれないけれど、子どもを育てることと、老いた親の面倒を子どもが見ることの間に「贈与の法則」は成り立たない、と私は思いたい。
 それは夫婦(パートナー間)でも同じだ。相方がお金を稼いできてくれるのだから、私が家事と育児を担う、というのも、Give&Takeで関係のバランスを保とうとする考え方ではないか? それだと双方とも苦しくなるばかりではないだろうか。
 人間関係はGive&Takeだけじゃない。Giveに対して、必ずTakeがあるべきだと考えていると、その人間関係はいつまでたっても豊かなみのりを結ばないのではないか。かと言って、「愛」なんてつかみようがない関数を入れても、いい関係になるとは限らない。それならどうしたらいいか。それがわからないから、今日も私は悩んでいるわけだ。
 そんなことを考えながら、取材して書いた記事を添付しておきます。
https://www.vogue.co.jp/change/article/feminism-lesson-vol9