春一番が吹くと、やたらと「学び」に目覚める、というまるで模範学生みたいなところが私にはあります。机に向かっての勉強するとかだけじゃなく、なんか新しいことを学びたくなるのです。(春から新学期となることに慣れた世代だからかもしれません)
 2月に春一番が吹いた先週、締切が迫っているにもかかわらず、5年前のちょうど今頃中断した中国語学習のテキストやノートを引っ張り出して、どんなことをやっていたのか、どこまで忘れているかを確かめることにまるまる1日を使うという、ある意味愚挙に出たのです。そして決めました。よし、中国語の学びを再開しよう! 別に役に立たなくてもいい。ただ学ぶことが楽しいのだから、もう少し学んでみよう。
 6年ほど個人レッスンで学んでいた中国語ですが、ものになったとはとても言えず、レッスンをやめてからもNHKラジオなどを聞いたりしていましたが、学び続けているとはとてもいえない状態でした。その間にロシアに行くことにしたこともあってロシア語を始め、個人レッスンについたり、学校に通ったりもしていたので、語学エネルギーがそちらにとられていた、ということがあります。
(ロシア語もいっこうにものにならないまま、ロシア旅行でも唯一役立ったのが地下鉄の乗り口と降り口を見つけることと(実はモスクワではこれがすごく重要)、レストランで「ビール、500mlジョッキでお願いします」「私はロシア語が分からないので、英語のメニューをお願いします。できれば絵がついているの」ということくらい)
 もう一度中国語を学んでみようと思ったのは、予想外に覚えていたから、ということがあります。NHK出版から出ている「中国語単語帳」をかなり熱心に繰り返し聞いて単語と文章を覚えたのですが、5年ぶりに聞いてみたら、もちろん聞き取れない文章も多いのだけれど、意外にも半分以上は繰り返しができるではありませんか! もちろん意味はよくわかっていないし、聞き取れたからといってディクテーションができるわけではありません。でも、気づいたのは「からだで覚えていたんだ」ということです。長年自転車に乗ってなくても乗れるように、どうも語学もからだに染み付かせたものはそう簡単には忘れないのではないか、とあらためて気づきました。そして条件反射のように口からついて出てくることって、結構な快感なんです。あ、そうそう、この言い回しにすごく苦労したよね、と思い出し、そういう文章ほど意外にも5年経ってスラスラと出てくるのです。反対に当時はすぐに覚えられて簡単に口から出てきたことが今はいえなかったり。記憶って不思議です。
 ゼロから始めるのではなく、からだが覚えているところをもう一度定着させるところから始められるのだ、ということに気づいたことで、またゆっくり中国語を学んでいこうと思ってます。
 
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梅の花が
香ると何か始めたくなります