今日で67歳になりました。
 令和3年3月3日と3が三つ並ぶというめずらしく、たぶんめでたい日だ、33歳だったら良かったのにね、と友だちからメッセージをもらいました。ふふふ、33✖️2プラス1だよ。めでたくない?(ないか)
 誕生日にあたっての抱負、とか書こうかなと思ったのだけれど、昨日胸糞悪いことがあって腹わた煮えくりかえりそうで、その嫌な気分をまだ引きずって67歳初日の朝を迎えたので、そうですね、決意としては「気持ちを切り替える」こと、そして「からだをたいせつにすること」にします。
 師匠に東洋医学の身体の考え方 「二十四節気」を教えてもらい、季節に合わせて身体とこころを整えることを最近心がけています。いまは「雨水」のときで、爪の変化に要注意とありました。爪のような体の末端まで気を配ることが、とても大切なのだとか。
「自分の体を丁寧に扱うことは、宇宙の端まで愛を届けることにつながります。人身小天地と言うように、体は宇宙そのものです。地球のどこかで不幸な事件が起こったり、自然災害があった時は、自分には何もできないと嘆かずに、体の隅々まで愛を届けてください。その行為は必ず世界に届いています」
 以前はこういうことを言われたら、なんか新興宗教臭くないか? とか疑いの目を向けていたのですが、今日これをあらためて読んで言われていることがそれこそ体の隅々まで沁みるような気がしました。
 父が亡くなる前、主治医だった医師が「お父様はおからだを隅々まで本当にたいせつに扱っていらっしゃいました。だからこの年齢(89歳)まで生きる意欲を絶やさずにお過ごしになられた のだと思います。見習いたいところです」と言われことが思い出されます。
 父の病室に戻ってそのことを伝えると、結構嬉しそうでした。そのあとに「俺は生き残ってしまったからなあ。先に逝ってしまった人たちの分も生きなならんと思ったんや」とつぶやくように言っていました。おそらく、戦争で亡くなった自分の同年代の人たちのことを思って「生き残ってしまった」という思いを強くしたのでしょう。
 その言葉を聞いたのは、6年前の今日。私の誕生日をしっかり覚えていて、病室に入っていくと一番に「おめでとう。からだを大事にしいや。お前の年齢からはそれが一番大切な仕事になるで」と言われたのでした。その11日後に、父は逝きました。
 いま振り返ると、父と過ごした時間は延べにするととても短かったのだけれど、たいせつなことを遺していってくれたのだな、と思います。自分が歳をとったおかげでそれがわかるのかも。
 先日読んだ本に「人は楽しくて笑うのではなく、笑うから楽しくなるのだ。脳はそういう仕組みになっている」と脳科学者が言っている箇所がありました。気持ちを切り替えて、楽しく今日を過ごさなくちゃね。
 洗濯物を干したあと、青空をあおいで全身で春の躍動を感じ、自分に大きな声で伝えました。
「誕生日おめでとう! 元気で、ここまで生きてこられてよかったね」
 
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自分の誕生日には、毎年ちらし寿司を作ることにしています。本当は岡山のまつりずしを作りたいのだけれど、どうやっても祖母が作ってくれた味にならないので、もう最近は自己流です。子どもたちの卒園、卒業、引っ越しなどに合わせて作って、実家を離れてからはわざわざ届けたりしていたのですが、今年はコロナのこともあって遠慮して、ご近所に配りました。