東日本大震災で亡くなられた方々とそのご遺族に、心よりお悔やみ申し上げます。時間がたてば癒えるというものではないと思います。10年たっても、被災地は「復興」とはとても言えず、震災の前の後では被災なさった方々の生活も人生も大きく変わられたことをあらためて思い、昨日、移動中の神戸からしばし黙祷を捧げました。
 昨日は施設にいる母を訪ねて、その後7回忌となる父の墓参りをしてきました。施設がようやく入居者とアクリル板越しではなく面会可能になったので、いま行っておかないとつぎの面会がどうなるかわからない、と思い、緊急事態宣言が開けていないことに後ろめたさを覚えながら「不要不急ではなく、必要なんだ」と自分に言い聞かせながら行ってきました。電話だけだともう話が支離滅裂で、思わず受話器をおおいたくなるようなことしか言わなくなった母が、まだ私を娘と認識できているうちに面会しておかないとこの先どうなってしまうかわからないという危機感がありましたし。でもそんな危機感は、3.11で覚えた危機感とは比べものにならないくらいちっぽけなものです。
 振り返ってみると、2011年3月11日の東日本大震災は私と家族の人生にも大きな影響を与えたな、と思います。長女は10年前のあの日、つきあっていた彼と会社から何時間もかけて徒歩で帰宅し、彼はそのまま私たちの家にいました。なんとか彼がアパートに帰れるまで交通機関が復旧した日に、娘は「(一人暮らしをしていた)彼のアパートに行く。これからどんなことがあるかわからないから、彼を一人にしておけないし、何かあったときに一緒にいたい」と言って、私が持たせたお弁当を持って家を出て行き、しばらくして2人は結婚を決めました。
 次女は楽しみにしていた大学の卒業式がなくなり、卒業旅行もキャンセルし、入社までボランティアをしていました。
 そして私は「自分のためだけでなく、これからは人のために自分の資源を使う生き方をしなくてはならない」という思いをより強くしたのでした。(夫の人生が3.11でどう変わったかは不明)
 阪神大震災では実家が被災して、私が高校生まで住んでいた家が全壊する、という経験も強烈でしたが、東日本大震災はそれ以上の衝撃でした。そして被災地だけでなく、私の気持ちの中でも「復興」はまだまだです。
 危機感を忘れず、「復興」への希望を見いだしていくためのつぎの10年が始まった、と思っています。あのとき日本にいて、津波と原発事故をたとえTVであってもライブで目撃した一人ひとりが、「このままではいけない」という思いでつぎの10年を歩んでいかねばならない、と心しています。