最後の最後まで「不祥事発覚」「辞任」で何回もつまずいて転びそうになりながらの大会ですが、今日開幕ですね。
でもコロナ感染拡大で東京で1日2000人近い感染者が出ている下で開かれることだけが問題ではありません。オリンピックはもうかなり以前からそのあり方に大きな疑問が投げかけられてきました。
そもそもオリンピックは始まり(1896年@アテネ)から、帝国主義的、人種差別的、性差別的なスポーツイベントで、その体質が今も根強く残っていることが長らく批判され続けています。
ある特定の人種(白人)、ある特定の性(男性)、ある特定の民族(欧米「先進国」)に属する人たちが、自分たちの身体的優位をそれ以外の「文明化されていないと自分たちが考える人たち」に誇ろうという意図で開かれてきたことは、歴史が明らかにしています。実は「平和の祭典」「人類みな平等」という看板は、IOCがブランド維持のために掲げているだけで、戦争や紛争や政治的問題が起こるとたちまち「中止」になったり、「抗議のために不参加」の国が出てくることがいったい何回あったことか。
コロナ禍下で行われる今回の東京オリンピック。
オリンピックだけでなく、スポーツの国際的なメガイベントがこれからどういう方向に向かっていくのかをあらたな視点から考えるヒントがつまっている対談です。否応なく時代は大きく変わろうとしていることを感じさせます。


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