60歳になった7年前、本当にやりたいことだけやってこれからは生きていこう、とか決意していたのですが、やりたいことをやるためにはやりたくないこともやらなくちゃいけなくて、いや、その前に「私が本当にやりたいこと」って何だろう? と考えているうちにあっという間に7年たってしまいました。
やりたいことの前に、やらなくちゃならないこと=義務と私が感じていることのほうが目の前に山積していて、まずはそれをこなしてからと思っているうちに7年。義務感にかられてやっているうちに1日があっという間に終わってしまう。世の中うまくいかないもんだな、とため息をつきながら7年以上経ってしまったわけです。
そこで最近、行動の前にやりたいかやりたくないかを考えたくない、いやその前にそもそも私は何がやりたいのか、などを考えるのをやめたい、とややこしいことを思うようになりました。やりたいことがあって当然、やりたいことがないなんてありえない、ということ自体が自分のプレッシャーになっているのではないか。「好きなことをする」ということがさもたいせつなことのように言われているけれど、好きなことが何かわからなくて、もんもんと苦しむ人だって多いわけで、好きなこと探しをすること自体、なんかもうある種のぜいたくなんじゃないかと。
そんなことを考えながらも、とりあえず目の前の締め切りをクリアすることだけで精一杯の日々を送っている今、妹が座右の銘のようにしていて何回も私に言ってくれるマザー・テレサの言葉が頭の中でリフレインされています。
「思考に気をつけなさい それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい それはいつか運命になるから」
毎日、「〜しなくちゃ」と言葉にしているうちに、義務的行動しかやらなくなり、義務で動くことが習慣になり、周囲から「なんでやりたくもないのに義務感で頑張るのか? 生真面目な性格だからか?」と言われるほどに性格になり、あああ、運命になってしまう前に何とかしたい。
「〜〜しなくちゃ」から「〜〜したい」に思考を変え、言葉に出し、行動に移したい……とか言っている時点で、これまたドツボにはまっていますね。
とりあえず今日は今日の締め切りを頑張ろう!
やりたいことの前に、やらなくちゃならないこと=義務と私が感じていることのほうが目の前に山積していて、まずはそれをこなしてからと思っているうちに7年。義務感にかられてやっているうちに1日があっという間に終わってしまう。世の中うまくいかないもんだな、とため息をつきながら7年以上経ってしまったわけです。
そこで最近、行動の前にやりたいかやりたくないかを考えたくない、いやその前にそもそも私は何がやりたいのか、などを考えるのをやめたい、とややこしいことを思うようになりました。やりたいことがあって当然、やりたいことがないなんてありえない、ということ自体が自分のプレッシャーになっているのではないか。「好きなことをする」ということがさもたいせつなことのように言われているけれど、好きなことが何かわからなくて、もんもんと苦しむ人だって多いわけで、好きなこと探しをすること自体、なんかもうある種のぜいたくなんじゃないかと。
そんなことを考えながらも、とりあえず目の前の締め切りをクリアすることだけで精一杯の日々を送っている今、妹が座右の銘のようにしていて何回も私に言ってくれるマザー・テレサの言葉が頭の中でリフレインされています。
「思考に気をつけなさい それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい それはいつか運命になるから」
毎日、「〜しなくちゃ」と言葉にしているうちに、義務的行動しかやらなくなり、義務で動くことが習慣になり、周囲から「なんでやりたくもないのに義務感で頑張るのか? 生真面目な性格だからか?」と言われるほどに性格になり、あああ、運命になってしまう前に何とかしたい。
「〜〜しなくちゃ」から「〜〜したい」に思考を変え、言葉に出し、行動に移したい……とか言っている時点で、これまたドツボにはまっていますね。
とりあえず今日は今日の締め切りを頑張ろう!
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