来年2022年1月14日から日本全国公開される映画「ハウス・オブ・グッチ」の原作本が発売になります。
「ハウス・オブ・グッチ」
サラ・ゲイ・フォーデン著
実川元子訳
早川書房

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 原作は20年前に発売、日本語版も2004年に刊行されましたが、このたび映画公開を機に文庫本と電子書籍であらためて発売となりました。20年も経つうちに原作もですが、翻訳はずいぶんと古くなってしまったので、だいぶ手を入れましたし、著者がエピローグから20年たった今の情報を入れたあとがきを書き加えています。
 タイトル通り、内容は世界的に有名なGUCCI グッチという高級ブランドと、創業のグッチ一族の人間模様を描き出しています。とはいっても、一族とブランドの成功物語という話ではありません。むしろ人生における成功とか失敗とか、勝ち組とか負け組っていったい何だろう? そんな損得・勝ち負けは意味ないんじゃないか、と思わせるような話です。
 幕開きは殺人です。創業者三代目のマウリツィオ・グッチが朝、事務所に出勤したところを何者かに銃で撃たれて死亡します。誰が、なぜ、彼を殺したのか? 事件解決のために警察は世界的に有名なこのブランド会社の起業から調べ始めます。このあたりはミステリーでも読んでいる感じです。
 グッチを起業したのはマウリツィオの祖父、グッチオ・グッチ。19世紀末にフィレンツェで生まれたグッチオは麦わら帽子の商売が行き詰まった実家を逃れて、荷役労働者になって英国に渡り、ホテルや寝台列車のボーイや皿洗いをして稼ぎ、故郷に戻ります。英国の上流階級が身につけている高級品、特に鞄などの革製品にふれて目が肥えた彼は、フィレンツェに戻ると革製品工場で働いて製造方法や革の選別法などを学び、1921年フィレンツェに小さな店舗を借りてグッチオ・グッチ鞄店を開業しました。これがグッチの始まりです。成功後に一族は、グッチ家は中世から貴族に馬具をおさめていた由緒ある家柄とか伝説を作ろうとしますが、本当のところは小さな鞄屋が出発点でした。ただ一方でグッチオ・グッチは革製品については原料からしっかりと学び、英国で磨いてきたセンスもあったので、品質が優れたエレガントな商品を、お手頃価格で販売していました。おかげで開業当初から人気はあり、グッチオの時代からグッチは規模を拡大していきます。
 イタリア国内では評判がよかったグッチを世界的ブランドにしたのは、20歳のときから家業を手伝っていた次男(長男は赤ん坊のとき夭逝)のアルドでした。第二次世界大戦後、戦勝国となってイタリアに駐留したアメリカ軍兵士たちが、故郷へのおみやげにきそって革製品を買うのを見て自信をつけたアルドは、渋る父を説得して1953年アメリカに進出します。天才的マーケッターだったアルドは、アメリカで大成功をおさめ、そこを足掛かりに世界中にグッチの直営店、フランチャイズ店の販売網を広げます。1970年代からは日本人客のおかげでグッチは「高級人気ブランド」の名声を確かなものにしました。
 グッチオの四男ロドルフォは映画俳優をやめてから家業を継ぎましたが、一人息子が幼いときに妻を亡くしたことで、異常なほど過保護になりました。それなのに息子マウリツィオが、父親の目から見て蓮っ葉に見えたパトリツィアに惚れ込み、家出をして彼女と結婚してしまったのです。数年間切れてしまっていた親子の仲をまた結び直したのがパトリツィアとアルドで、それまでパトリツィアの実家の家業を手伝っていたマウリツィオは1971年にニューヨークに渡り、アメリカでグッチの仕事をするようになりました。
 アルドには息子が3人いたのですが、いずれもやや癖があって家業を継がせるには物足りない。イタリアの男性たちにありがちなのですが、自分が王様でいられる場所を離れたがらず、進取の気性に欠ける。その点マウリツィオは大学の法学部を出てインテリだし、内気ではあるが押し出しもよい。父親や妻にお尻を叩かれ、マウリツィオもしだいにグッチの次期後継者になる意志を固めていくのですが、そうは問屋が卸しません。アルドのほかの息子たちが黙ってはおらず、まずアルドの後継者をめぐって最初の派手な内紛が起こります。
 その後も「誰がグッチを率いるか?」をめぐって、まずはマウリツィオvsアルド側一族、自身のデザインでブランドを率いたいアルドの三男(パオロ、映画ではジャレッド・レトが怪演です)vsアルドたちの争い、その後マウリツィオが投資銀行の助けで後継者争いに勝利した後、業績不振に陥ると今度はマウリツィオvs投資銀行の争いとなり、結局はマウリツィオが負けて1992年ついに企業のグッチにグッチ一族が誰一人もいなくなってしまいます。マウリツィオは巨額の富を得たものの、3代目で会社を手放してしまったのでした。
 グッチ家がいなくなって、内紛が落ち着いたところでグッチはまた再興します。トム・フォードという逸材が活躍したこともあってグッチは革製品屋ではなく高級「ファッション」ブランドとなり、やがてコングロマリットの傘下に入って発展していき現在にいたります。
 そして原作ではここからがおもしろくなっていきます。バーグドルフ・グッドマン社長に就任してアメリカの小売業界で女性として初めてトップに立った一人であるドーン・メローが、マウリツィオに引き抜かれてグッチ再興の礎を築き、彼女が起用した若きトム・フォードがクリエイティブ・ディレクターとなってグッチをファッションで世界を席巻します。経営でそれを支えたのがドメニコ・デ・ソーレで、二人はトム・ドム爆弾と言われて、ファッション業界きっての強力なパートナーとなり、グッチをやめてから後も現在にいたるまでトム・フォードブランドを率いています。高級品市場で世界最大規模であるLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)のベルナール・アルノーから乗っ取りをはかられそうになり、それを防衛するために、同じく高級品市場のコングロマリットを狙っていたPPR(現在はケリング)の資金援助を受けて阻止するとか、その辺の話が実は訳者としては一番興味深かったです。
 映画ではマウリツィオの殺人の経緯に焦点が当てられていて、グッチ再興の話やグッチ家内紛の深いところは描かれていません。2時間半の映画ではさすがにそこまで踏み込めなかっただろうし、何より映画はパトリツィア・レッジャーニを演じたレディー・ガガのために作ったようなところがあるので、たとえアル・パチーノやジェレミー・アイアンのような大物演技派を揃えてもグッチ・ブランドのすごさは描けなかったような。
 映画もおもしろいですが、原作は事実に即しているし、人物の描き方が深くてよりいっそう楽しんでいただけると思います。年末年始にどうぞ映画とともにお楽しみください。