6月18日(土)大阪の本屋さん、隆祥館で開催された「フェミニズムってなんですか?」(清水晶子著 文藝春秋)発刊記念トークイベントにお越しいただいた方、リモートで視聴いただいた方、ありがとうございました。
イベント会場はほぼ満席、リモートも30名ほどの方が参加いただき、2時間のトークは終始なごやかながら、熱気漂うものになりました。
なごやかだった理由は清水さんのお話が歯切れよく、わかりやすかったことが大きいのですが、もうひとつ、用意した動画で一気に会場が和んだからでもあります。
英国がコロナで厳しいロックダウンを敷いていた2020年に、BBCが国際政治学者に北朝鮮問題についてインタビューしたニュースの最中に、子どもが乱入した放送事故の動画です。



内容はとてもまじめでかたいものだったにもかかわらず、あのおかたいBBCニュースの真っ最中に子どもが乱入。学者さんがすみません、と謝ったものの、視聴者はとても好意的に、共感をもって受け止めたとか。 
その後にたくさんのパロディ動画が作られたり、学者さん一家が「子どもがいる家庭で仕事をすること」についてテレビでインタビューされたり(もちろん子どもも一緒に)、かなり長期にわたって「子育てと仕事の両立」みたいなところから、女性たち(だけでないけれどおもに女性)のケア労働が可視化された、というものまでメディアが取り上げた、とのことです。
そのひとつとして、BBCのニュースをそのままなぞった動画が話題を呼んだとか。それもイベントで紹介しました。


これについて清水さんは、元のBBCニュースの子ども乱入事件が好意的に受け止められたのは、「国際政治学者のような社会的ステータスのある人の家でも、お父さんの大事な仕事場面に子どもが入ってきてしまうようなことがあるんだ」という共感が大きかったとおっしゃり、パロディのほうでは「同じ政治学者でも女性だったら、家事育児から家のセキュリティまで全部やってのけて、それを外部にはまったく見せないで涼しい顔でやっている(やらなくてはならない)」ことを皮肉っているのだと言われました。

なぜこのエピソードをイベントで紹介したかと言うと、リモートワークになって会議のときに子どもの声が入ってしまったことで上司に叱責を受けた、これはフェミニズムとしてどう考えたらいいのか、という質問があったからです。
振り返ると、私にも似たような経験がありました。1990年代の終わり、フリーランスになって数年経った頃のことです。
電話インタビューをセッティングしたその日に子どもが発熱して保育園を休まざるを得なくなり、日程を変えようにもすでに当日で動かせず。途中でぐずる子どもの背中をとんとんしながらインタビューしたのだけれど、もう何を聞いているのか、どんな相槌を打っているのかさえもわからない状態で30分。相手の方は相当不快な思いをされたと思います。案の定、編集者を通して苦情がきました。 
以後は、電話インタビューだろうが対面インタビューだろうが、アポイントメントを入れてからは、その日何があっても「単身」で出られるように、ベビーシッターをお願いするようにしました。でも、コロナ感染症のようなことがあったら、そんな配慮もできませんね。
当時も「なぜ女性にだけそんなにたくさんのたいへんなことを要求するのだろうか」と疑問に思いました。そして今、フェミニズムのことを勉強しながら思うのは、なぜもっと子どもと女性に寛容な社会ではないのだろう、ということです。
私なんかほんと恵まれていて、自分も子どもも健康で、配偶者がいて、いざとなれば親に助けを求めることもできた。でもそういう条件に恵まれないと、女性がひとりの社会人として生きていくのがむずかしく、子どもが安心して育てられない社会ってやはりおかしい。

参院選が公示されました。
私がひたすら願うのは、政治にたずさわる人が、まず次世代が安心して育っていける社会を考えている人、社会的弱者に寛容な社会をめざしている人であることです。政治の役割はまずはそこではないでしょうか。