ここのところ母の骨折とコロナに振り回されておりました……いや、現在進行形で、いまもって振り回されておりまする。
もう退院できますよ、という連絡を病院からもらった後、ケアマネさんや施設の人と相談して、リハビリ病院に転院させることにしました。手術をした病院にその旨申し入れて探してもらい、希望したリハビリ病院への転院が決まって、付き添いのために大阪に出かけようとした直前、病院から電話がかかってきて、転院先にコロナのクラスターが発生して受け入れられない、ほかのところを探すからとりあえずいったん転院は保留で、と言われました。
あちこち聞いてもらったのですが、どこもクラスターまで行かずとも患者さんやスタッフの方々がコロナに感染したり濃厚接触者だったりして転院先探しは難航。
そうこうしているうちに、私のまわりでもどんどん感染者が出てきて、濃厚ではないものの接触した人からも「発症しました」の通知がくるようになりました。いま私が濃厚接触者になるわけにはいかないと外に出て人に会うことを避けて引きこもること5日間。
やっと転院先が見つかったと知らせがあり、すぐほぼ始発の新幹線に飛び乗って日帰りで行ってきました。これほどまでにコロナ感染が拡大してしまうようでは、いろいろな意味で行き場所を母は失いかねませんからね。
母と会っての感想はともかくとして、主治医から言われたことが、ある程度想定していたとはいえど私にとっては少しショックではありました。
ひとつは「自立した生活に戻れる可能性はかぎりなく低い」ということ。
自立した生活とは、車椅子であっても自分の意志で移動して、食事と排泄が少しの介助があればできること」を意味しているそうです。ポイントは意志の有無と、介助の程度です。
食堂やトイレのある場所まで自発的に行く、という意志。車椅子からトイレに移動し、服の着脱をするときに手助けをしてもらう程度の介助。その二つの要件が満たされれば「自立した生活」が可能だとみなされます。つまり移動や食事、排泄にも意志を示して、介助を求めることができれば自立した生活は可能だということです。でも連れて行かれるがまま、服の着脱もお任せ、というのでは自立ではない。その区別は微妙なようでいて、実ははっきりしていることを知りました。
そう言われながらも、私はつい「リハビリしたら歩行器につかまって歩けるようになりますか?」と聞いてしまったのですが、主治医からは、奇跡が起こらないとはいえないけれど、現実的に考えてそれはもう望めないとのこと。なぜなら「動こうという意志」が、認知症が進んでいる母にはすでにないからだそう。骨折と手術でしばらく寝たきりになっていたこともあり、そもそも弱っていた筋力がさらに衰えて、現状は歩くことはおろか、自力で立ち上がることさえできない。しかも立ち上がろう、歩こうという意志が見られず、リハビリでの指示の理解もむずかしい状態では、筋力がアップすることは望めないのではないか。。。。
言葉を選んで、現状と予測を語る主治医の言葉を、帰りの新幹線で何回も反芻しました。
そうか、ついに自立した生活が望めないところに来てしまったか。それならこれからどうすればいいのか。
……そして新幹線が小田原駅を通過するころ、やっといつもの結論に達しました。
考えて悩んでもしかたない。
とにかく今日、無事ならばよしとしよう。
明日のことは考えないことにしよう。
その夜に見た月は、神々しいほどの輝きでした。
もう退院できますよ、という連絡を病院からもらった後、ケアマネさんや施設の人と相談して、リハビリ病院に転院させることにしました。手術をした病院にその旨申し入れて探してもらい、希望したリハビリ病院への転院が決まって、付き添いのために大阪に出かけようとした直前、病院から電話がかかってきて、転院先にコロナのクラスターが発生して受け入れられない、ほかのところを探すからとりあえずいったん転院は保留で、と言われました。
あちこち聞いてもらったのですが、どこもクラスターまで行かずとも患者さんやスタッフの方々がコロナに感染したり濃厚接触者だったりして転院先探しは難航。
そうこうしているうちに、私のまわりでもどんどん感染者が出てきて、濃厚ではないものの接触した人からも「発症しました」の通知がくるようになりました。いま私が濃厚接触者になるわけにはいかないと外に出て人に会うことを避けて引きこもること5日間。
やっと転院先が見つかったと知らせがあり、すぐほぼ始発の新幹線に飛び乗って日帰りで行ってきました。これほどまでにコロナ感染が拡大してしまうようでは、いろいろな意味で行き場所を母は失いかねませんからね。
母と会っての感想はともかくとして、主治医から言われたことが、ある程度想定していたとはいえど私にとっては少しショックではありました。
ひとつは「自立した生活に戻れる可能性はかぎりなく低い」ということ。
自立した生活とは、車椅子であっても自分の意志で移動して、食事と排泄が少しの介助があればできること」を意味しているそうです。ポイントは意志の有無と、介助の程度です。
食堂やトイレのある場所まで自発的に行く、という意志。車椅子からトイレに移動し、服の着脱をするときに手助けをしてもらう程度の介助。その二つの要件が満たされれば「自立した生活」が可能だとみなされます。つまり移動や食事、排泄にも意志を示して、介助を求めることができれば自立した生活は可能だということです。でも連れて行かれるがまま、服の着脱もお任せ、というのでは自立ではない。その区別は微妙なようでいて、実ははっきりしていることを知りました。
そう言われながらも、私はつい「リハビリしたら歩行器につかまって歩けるようになりますか?」と聞いてしまったのですが、主治医からは、奇跡が起こらないとはいえないけれど、現実的に考えてそれはもう望めないとのこと。なぜなら「動こうという意志」が、認知症が進んでいる母にはすでにないからだそう。骨折と手術でしばらく寝たきりになっていたこともあり、そもそも弱っていた筋力がさらに衰えて、現状は歩くことはおろか、自力で立ち上がることさえできない。しかも立ち上がろう、歩こうという意志が見られず、リハビリでの指示の理解もむずかしい状態では、筋力がアップすることは望めないのではないか。。。。
言葉を選んで、現状と予測を語る主治医の言葉を、帰りの新幹線で何回も反芻しました。
そうか、ついに自立した生活が望めないところに来てしまったか。それならこれからどうすればいいのか。
……そして新幹線が小田原駅を通過するころ、やっといつもの結論に達しました。
考えて悩んでもしかたない。
とにかく今日、無事ならばよしとしよう。
明日のことは考えないことにしよう。
その夜に見た月は、神々しいほどの輝きでした。
コメント
コメント一覧 (2)
どう書いてよいかわからずに途方に暮れていました。
お母様のご容態を書いてくださった事に感謝しています。
今日、無事なら良しとしようという言葉に救われました。
母は今日も無事のようです。これを書いた後にコロナに感染したのですが、それもすいっと乗り切り、無事です。元気とは言えなくても、無事ならいいかなと思わなくては。
きのうと同じ今日があり、今日と同じような明日があることに感謝です。