「おいしいごはんが食べられますように」
高瀬隼子著 講談社

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 まず最初に言っておく。
 タイトルにだまされちゃいけない。この小説がグルメな話を書いていると思ったら間違いだ。
 たくさんの料理(カップ麺含む)がにおい、味、食感ふくめて登場するが、読後に気づく。どの料理もおいしそうではない。それ以上に胸焼けするように書かれている。
 食事風景も殺伐としている。恋人同士(と一応なっている)の二人が食べる健康的なメニューも、職場のお疲れ様会も、おでん屋で同僚と酒を飲みながら盛り上がる場面も、家族団欒の食事風景も、どれも殺伐としている。
 高瀬隼子、ただものではない。
 おいしいものをこれだけ胸焼けがするように書ける作家を私は知らない。
 心安らぐはずの愛する人との食事風景を、これほど殺伐と書ける作家はほんとただものじゃない。
 小説は職場の男女二人の若手社員の視点で語られる。二人は恋人ではないが二人だけで飲みに行く。セックスしかかったこともある。でも、距離がある。一緒にごはんを食べて、一緒に飲んで、話がおおいに盛り上がっているのに、距離がまったく近づかない。そしてその距離感を二人は心地よく感じている。一緒に食事をするときの距離感が共有できるからだ。
 二人の話題はもっぱら職場の女性、芦川さんのことだ。
 芦川さんは女性(押尾さん)の先輩で、男性(二谷さん)よりも年上で、心身ともに「弱い」キャラを職場で通している。仕事がまったくできない。それどころか少し忙しくなったり、ややこしい仕事をふられると頭痛がするといって早退する。職場の繁忙期に正社員が深夜まで働くことになっても、パートさんと一緒に定時に退社する。それが許されている。なぜなら「本当に素直でかわいくていい子だから」
 芦川さんは「みなさんに迷惑をかけているのでそのおわびに」と言って、毎日手の込んだスイーツを自作して持ってくる。職場の上司も同僚も「すごーい」「うまいなあ」といってありがたくそのスイーツをほめたたえながら食べる。押尾さんもみんなが「有名パティシエでもこんなにすごいスイーツは作れない」とか褒めているのに「ほんとにね」とか頷きながら、一応おいしそうに食べる。二谷さんは「すごいっすね。自分はもったいなくてすぐに食べられない。夜食にとっておいて大事に食べます」と言って、その場では食べない。そして全員が退社したあと、ビニール袋に入れて、ぐちゃぐちゃにつぶして廊下のゴミ箱に捨てる。毎日。こわい。二谷さんだけでなく、スイーツを作ってくる芦川さんも、おいしいといって食べる同僚や上司も、すごくこわい。
 二谷さんは芦川さんが自分の部屋に来て作ってくれた、健康的で素朴な家庭料理を「うまいっす」と食べる。そして芦川さんが自宅(実家住まい)に帰ったあと、いかにもからだに悪そうなこってりしたカップ麺をかきこむ。食べたという実感を得るために。わかる。健康的でおいしいものが、必ずしも胃を満足させるものじゃないから。
 毎日、ゴミ箱に芦川さんのスイーツが捨てられていて、しかも誰かがそれを拾って芦川さんの机の上に置いてあることが続き(芦川さんはスイーツに気づいても何事もなかったようにさっとゴミ箱に捨てる)、それが押尾さんがやったのではないかと思われ、結局彼女は辞職する(というか転職する)。二谷さんは人事異動で遠方の支店に転勤になるが、スイーツ事件とは関係ない人事だ。

 芥川賞受賞作のこの作品について「仕事と恋愛の話」という紹介があるけれど、的はずれだ。
 この本は人間としての弱さと強さの話だ。そして、強いから(もしくは正しいから)勝つのではなく、弱いことを前面に出して、それが許される人こそが勝者になる人間関係があることを指摘している。
 スイーツ捨て発覚で押尾さんに非難が集中したときに二谷がいう。
「押尾さんが負けて芦川さんが勝った。正しいか正しくないかの勝負に見せかけた、強いか弱いかを比べる戦いだった。当然、弱い方が勝った。そんなのは当たり前だった」
 会議資料が作れずに叱責され、そのために頭痛で早退した芦川さんがやり残した資料を作ることになった二谷は、心中舌打ちしながらこう思う。
「弱いと思われたくない。それ以上に、できないと思われたくない。みんなに。しようもない承認欲求だとは思わない。会議資料作りなんて誰がしたいだろう。(中略)したくないことも誰かがしないと、しんどくても誰かがしないと、仕事はまわらない」
 そして押尾さんははっきりとこう思っている。
「芦川さんのことを嫌いでいると、芦川さんが何をしたって許せる気もする。許せない、とは思わない。あの人は弱い。弱くて、だから、わたしは彼女が嫌いだ」
 読後感は芦川さんがつくる生クリームたっぷりの美しいショートケーキを食べさせられたように、奥歯に甘さがしみて、胃にもたれる。
 しかし、この小説は私が近年読んだ芥川賞作品のなかで、飛び抜けて秀逸である。