FIFA女子ワールドカップ観戦のためにニュージーランドに行こうと決めたのは、FIFAからグループリーグ組分けの発表があってまもなくでした。
前回大会の2019年は留学生を預かっていたために日程の融通がきかず、チケットがとれたのも準々決勝からで、日本はすでに敗退していました。だから今回は開幕戦から観戦すると決め、日本戦をマストにして日程を組もうと、地図とにらめっこしながら今年1月から旅程を検討。
一番迷ったのが、開幕から決勝戦まで1カ月間にするか、それともグループリーグ終了までの半月にするかでした。
どちらにしてもやや長い期間となるので、不安だったのは以下の3つ。
1) 母が無事に過ごせるか?——2019年の肩甲骨骨折、2020年の脳梗塞、2022年の大腿骨骨折など大きな怪我や病気はいずれも夏に起こしている母です。いざというときは妹や私の夫という代わりがいることはよくわかっています。妹や夫は「行ってこい」「任せてくれ」と言ってくれました。でも、責任感の重圧をひとりで担いがちな私の性格として、何かあれば旅行を延期したり、取りやめることになるかもしれない。(実は以前にも母のことでぎりぎりで旅行を取りやめにして、結構な額のキャンセル料を払ったことがあります)。本当に行けるのだろうか、と飛行機に乗るまで不安でした。
2)自分の体力は大丈夫か?——コロナで3年間海外旅行に出ていません。それ以前にもときおり激しい飛行機酔いに悩まされ、加えて時差ぼけで到着してから2日間はフラフラしていました。69歳になったいま、果たして観戦ひとり旅にからだが保つか。でも、ニュージーランドは時差が3時間だし、直航便なら10時間で行くというし(実際には乗り継ぎ便になって18時間半かかったが)なんとかなるかな、いまを逃したら体力ではもっと厳しくなると思って行くことを決断。
3)留守宅は大丈夫か?——夫は生活のマネージメントに関して120%私にお任せな人です。以前は90%くらいだったけれど、年齢を重ねるとともに比率はあがり、いまでは120%。自分が食べるものを(コンビニなり外食なりでも)獲得してくる能力さえも衰えています。妹に「目をつぶればいいのよ。家がどれだけ汚なくなろうと、洗濯物が悪臭を放っていようと、生き延びていさえすればいいと腹をくくらないと、お姉ちゃんはなにもできなくなるよ」と言われたので、覚悟を……やっぱり決められませんでした。
私が留守にする期間に「やること」チェック表をつくって、掃除(ルンバだけれど)、洗濯(週一だけど)から、窓の開け閉め、鉢植えの水やり、ゴミ捨て(資源ゴミの仕分けは諦めた)まで結構こまかく写真入りの「家事日程表」をつくって渡し、メールでの報告を申し渡しました。
そのおかげか、帰国して家に入ったときに、以前に長期に家をあけて帰ってきたときのように腐敗臭はしなかったし、植物はすべて生き延びていたし、シンクが黒くなっていることもなかったし、洗濯物が洗面所の床にまで溢れかえっているようなこともありませんでした。
出発前までは不安でしたが、ニュージーランドに降り立ったとたん、いや、飛行機に乗ったとたんに不安は遠ざかり、ではなくて消え去りました。日本で重くのしかかっていたもの(たぶん日常生活のアク)が取り除かれたように、からだも心もすっきり爽やか、軽い軽い。18時間半の長旅もなんのその、オークランドのホテルでシャワーを浴びて、テイクアウトしたピザをつまみながら開幕戦に行く準備をしている間に、自分のなかから久しぶりに体力気力が湧き出てくるのを感じました。そして体力気力の充実感は帰国の飛行機に乗り込むまで続きました。
日常を離れるだけでなく、日本での日常生活にまつわるあらゆるぐちゃぐちゃを忘れること。
何を食べるか、どこに行くか、何をするかを、自分を中心に決められること。
妻、娘、母、祖母とかいう役割ではなく、実川元子として行動できること。
他人の体調や気分をうかがう必要がなく、自分の感情や気分を優先できること。
ひとり旅の快感はそこにあります。
まだ私にはその快感の追求ができると確かめられたことが、4年ぶりの海外一人旅の一番の収穫だったかもしれません。
1日に何回も空(晴れていようが雨が降っていようが、夜空だろうが)「あ〜〜気持ちいい〜〜」と深呼吸を繰り返す毎日でした
前回大会の2019年は留学生を預かっていたために日程の融通がきかず、チケットがとれたのも準々決勝からで、日本はすでに敗退していました。だから今回は開幕戦から観戦すると決め、日本戦をマストにして日程を組もうと、地図とにらめっこしながら今年1月から旅程を検討。
一番迷ったのが、開幕から決勝戦まで1カ月間にするか、それともグループリーグ終了までの半月にするかでした。
どちらにしてもやや長い期間となるので、不安だったのは以下の3つ。
1) 母が無事に過ごせるか?——2019年の肩甲骨骨折、2020年の脳梗塞、2022年の大腿骨骨折など大きな怪我や病気はいずれも夏に起こしている母です。いざというときは妹や私の夫という代わりがいることはよくわかっています。妹や夫は「行ってこい」「任せてくれ」と言ってくれました。でも、責任感の重圧をひとりで担いがちな私の性格として、何かあれば旅行を延期したり、取りやめることになるかもしれない。(実は以前にも母のことでぎりぎりで旅行を取りやめにして、結構な額のキャンセル料を払ったことがあります)。本当に行けるのだろうか、と飛行機に乗るまで不安でした。
2)自分の体力は大丈夫か?——コロナで3年間海外旅行に出ていません。それ以前にもときおり激しい飛行機酔いに悩まされ、加えて時差ぼけで到着してから2日間はフラフラしていました。69歳になったいま、果たして観戦ひとり旅にからだが保つか。でも、ニュージーランドは時差が3時間だし、直航便なら10時間で行くというし(実際には乗り継ぎ便になって18時間半かかったが)なんとかなるかな、いまを逃したら体力ではもっと厳しくなると思って行くことを決断。
3)留守宅は大丈夫か?——夫は生活のマネージメントに関して120%私にお任せな人です。以前は90%くらいだったけれど、年齢を重ねるとともに比率はあがり、いまでは120%。自分が食べるものを(コンビニなり外食なりでも)獲得してくる能力さえも衰えています。妹に「目をつぶればいいのよ。家がどれだけ汚なくなろうと、洗濯物が悪臭を放っていようと、生き延びていさえすればいいと腹をくくらないと、お姉ちゃんはなにもできなくなるよ」と言われたので、覚悟を……やっぱり決められませんでした。
私が留守にする期間に「やること」チェック表をつくって、掃除(ルンバだけれど)、洗濯(週一だけど)から、窓の開け閉め、鉢植えの水やり、ゴミ捨て(資源ゴミの仕分けは諦めた)まで結構こまかく写真入りの「家事日程表」をつくって渡し、メールでの報告を申し渡しました。
そのおかげか、帰国して家に入ったときに、以前に長期に家をあけて帰ってきたときのように腐敗臭はしなかったし、植物はすべて生き延びていたし、シンクが黒くなっていることもなかったし、洗濯物が洗面所の床にまで溢れかえっているようなこともありませんでした。
出発前までは不安でしたが、ニュージーランドに降り立ったとたん、いや、飛行機に乗ったとたんに不安は遠ざかり、ではなくて消え去りました。日本で重くのしかかっていたもの(たぶん日常生活のアク)が取り除かれたように、からだも心もすっきり爽やか、軽い軽い。18時間半の長旅もなんのその、オークランドのホテルでシャワーを浴びて、テイクアウトしたピザをつまみながら開幕戦に行く準備をしている間に、自分のなかから久しぶりに体力気力が湧き出てくるのを感じました。そして体力気力の充実感は帰国の飛行機に乗り込むまで続きました。
日常を離れるだけでなく、日本での日常生活にまつわるあらゆるぐちゃぐちゃを忘れること。
何を食べるか、どこに行くか、何をするかを、自分を中心に決められること。
妻、娘、母、祖母とかいう役割ではなく、実川元子として行動できること。
他人の体調や気分をうかがう必要がなく、自分の感情や気分を優先できること。
ひとり旅の快感はそこにあります。
まだ私にはその快感の追求ができると確かめられたことが、4年ぶりの海外一人旅の一番の収穫だったかもしれません。
1日に何回も空(晴れていようが雨が降っていようが、夜空だろうが)「あ〜〜気持ちいい〜〜」と深呼吸を繰り返す毎日でした
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