10月になったのがつい10分ほど前のような気がしています。でもカレンダーはもう11月。先月は一回しかブログを書かなかったといま気がつきました。
 もうなんというか、怒涛の10月でした。頭もからだも120%使った1ヶ月(いや3ヶ月間同じかな)でした。何にって、断捨離しながら家族関係と自分のこれからに向けて人生の立て直しを図ることに必死だったのです(いまも必死さは進行形です)。その合間に仕事もしていて、いやはや、もう身体的にも精神的にもパンク寸前で、それなのに突っ走るのがやめられないで、いい加減にスローダウンしろよと自分を叱りたいです。
 そんな調子なので申し訳ないけれど、ガンバについては情報を見る気力も体力も時間もなく。
 残留できるのだろうか、とか考えたくないことがチラッとときどき頭をよぎるのですが、いまは自分と家庭のことでぱんぱんなので、不安の黒い雲は一瞬にして飛び去ってしまう。つまりガンバのことを心配する余裕もなく。

 10月はともかく不要なものと必要なものを選別し、不要なもののなかからゴミにするものとリサイクルなどに出すものをまた選別し、ゴミに出すにしても粗大ゴミ、不燃ゴミ、可燃ゴミ、資源ゴミと分別することを繰り返しました。
 気づいたのが「モノだけでなく、人生そのものが選別と分別の繰り返しなんだな」ってことです。何かを選べば、何かを捨てることになる。ただ捨てればいいってものじゃなく、ひとつひとつ分別してどう捨てるか(諦めるか)を判断しなくちゃいけない。こまかいことから大きなことまで、何を選ぶか、選んだらつぎにどうしたらいいか、選ばなかった選択肢にどう対処するか。
 何もそう大袈裟な話ではなく、ごはんのメニューから予防接種をするかしないかまで、とにかく選ぶこと、捨てることの繰り返しなんですね。
 そして選別と分別は意識してやろうとすると、すごくエネルギーを使う。
 とりあえず選別の決断は先送りにしよう。捨てられない、諦めがつかないからそのままにしておこう。新しいものは買わず、新しいことはやらないでおこう。きのうと同じことを繰り返そう。エネルギーが不足して、そうやって選別と分別を先送りにしていると、たちまち家のなかも、頭のなかも、ぐっちゃぐちゃで収拾がつかなくなる。
 それに気づいたので、エネルギーがまだあるいまのうちに、これからの生活のビジョンを描いて断捨離に踏み切ったわけです。
 きのうでほぼ終わって、いま、部屋のなかはがらーんとしています。
 これからの暮らしに「必要」だと私が判断して残したものは、おそらく半分かそれ以上に少ない。
 たとえ明日私が倒れたとしても、残された人たちが処分に困らないように、「全部捨ててよし」と書いておきました。
 まあ、そうはいってもこれからも人生は続きそうなので、またよけいなものが増えないともいえませんが、とりあえずは一区切りだな。
 いまエネルギーがやや枯渇してしまったので、ひと息ついて補給したいです。
 
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気づくと
紅葉もはじまっており