阪神タイガース、ついに日本一になりました。おめでとう!
何度も繰り返される「38年ぶりの日本一」。生涯2度目のタイガース日本一です。(といっても、以前ほど阪神に興味があるわけではありませんが、一応出身地のチームだから)
当時からは日本一になるためのレギュレーションが大きく変わっているなか、昨年優勝のオリックスをきわどくかわしての優勝の価値は大きいと思います。
 
1985年、日本一が決まった瞬間を、私は出張していた北海道で、ローカル線に乗ってつぎの目的地に向かう車内で聞きました。
スマホなど影も形もない時代。持参したラジオにイヤホンをつけて、窓の外の終わりかけの紅葉を見ながら、ハラハラドキドキその瞬間を待ちました。優勝が決まった瞬間、思わず大きなため息をついたことも覚えています。安堵のため息だったのかな。
阪神はその後も数回リーグ優勝はするものの、日本シリーズに進めなかったり、日本一には手が届かなかったり、そもそも大半は優勝からは遠く「低迷」していましたね。いまのガンバみたいに。

1985年は長女が5歳でした。その年のプラザ合意後に日本はバブルに。
次女が生まれたのはその2年後。3ヶ月の産休中、昼になると「笑っていいとも」を見ながら授乳していました。タモリはいつも好調だけど、この時期は絶好調だったような。
1990年、会社を辞めてフリーランスに。バブル崩壊の直後だったかな。初めてMyPCを購入しましたが、まだ原稿の納入はFAXがメインで、長いものになるとプリントアウトして宅配便でした。
1991年、訳書が初めて世に出ました。翌年、自著も出版されて、翻訳業とライター業で仕事していく覚悟ができました。このときも原稿はまだ長いものはFAXではなく宅配便で送っていて、締め切りに間に合わせようと夜中でもヤマト運輸の配送センターまで自転車(もちろん電動ではない)を30分以上走らせることが月2、3回ありました。インターネットも高速回線ではなかったので調べ物はもっぱら国会図書館をはじめとする大きな図書館。メールでのやりとりは「失礼にあたる」とかいわれて、ちょっとした打ち合わせでもわざわざ都心に出向いていました。
いま振り返ると、インターネットが本格的に活用できるようになって、調べもののために図書館に通うことがあまり必要なくなったのって、2000年代に入ってからなんですね。少なくとも私は。300ページの本の原稿をメールで送れるようになったのも、2000年代半ばから。原書が紙でなくデータで送られてくるようになったのは、2010年代からでしょうか。
私がスマホ(iPhone)を購入したのは2009年。スマホも仕事のやり方を変えました。
人によるでしょうが、私にとってPC→インターネット→スマホ(タブレット)は仕事のやり方を変えただけでなく、生活全般に及ぼした影響ははかりしれず。

「タイガース、38年ぶりの日本一」の連呼のおかげで、この38年を振り返ることができました。
38年はひと昔前だってことがよくわかった。
私も、日本も、世界も、この38年の間におそろしく変わりました。
振り返るチャンスを与えてくれた意味でも、タイガース、ありがとう!