「フェミニズムズ〜グローバル・ヒストリー」

ルーシー・デラップ著

幾島幸子訳 井野瀬久美惠 解題
明石書店

 

 年が明けて冬物バーゲンでまた奇抜な服を買ってしまい、「こんな服、いったいどこに着ていくつもりか?」と自分で自分にツッコミを入れながらかさばる袋を抱えて帰ってくる電車のなかで、「フェミニズムズ」を開いたら、「ルックー装い・外見」の章にどきっとさせられる言葉と出会った。

「二一世紀のベールやブルキニ(イスラム女性向けの顔と手足以外が隠れる水着)についての論争や、ヒラリー・クリントンのような公人の服装を執拗なまでに監視するメディアを見ていると、女性の「位置」を規定するうえで、衣服がその中心を占めてきたことを再認識させられる。他人と違う装いや外見を選ぶことは、革命的な可能性をはらんだ行為なのだ」

 女性の「位置」は、階級、職業、肩書き、経済状態といった公的な要素と、性別や年齢、家族、友人、コミュニティにおける人間関係といった私的な要素によって規定される。自分の位置を自分で判断し、その位置にふさわしい衣服を選ぶか、それともあえて違うものを選んで「革命的な可能性」を試すか。

 私はフェミニストを自認している。だが、私はどういう意図でちょっと奇抜な服を選んだのか? 選んだ上で、なぜ「どこに着ていけばいいんだろう?」「いい歳してこんな服着て、若づくりしてるとか思われないか?」などと悩んでいるのか? なぜ堂々と「革命的な可能性をはらむ服」を選んだぞ、悪いか? と開き直れないのか? なぜならそこまで腹をくくってフェミニストになっていないからではないか。なんてことを考えて悶々とした……というのはおおげさだけれど、フェミニストを自認するのであれば、外見について考えることもたいせつだなと思った次第。フェミニズムは生活に密着している。本の中におさまっている思想ではないのだ。

「革命的な可能性」をはらんだ服装とは、女性がズボンをはくのが許されなかった時代や場所であえてズボンをはくとか、頭髪を見せてはいけない地域で逮捕覚悟でベールをかぶらないで外を歩くとか、警官隊が見守るなかでも上半身裸でデモ行進するとか、である。女性たちが置かれている「位置」に逆らって、自分の身体を自由に表現するという意図を持って打破することだ。「フェミニズムズ」では、世界各地で女性たちが挑戦してきたそんな例がたくさん紹介されている。

 その一方で、本書ではこう釘を刺すフェミニストの言葉も紹介されている。

「女性は自分の身体について自己規定し、自己決定すること(を認められるべきだ)。だが、その特権を最初に行使するのは、もっとも特権に慣れ親しんだ人たちであることを忘れてはならない」

 フェミニズムというと、19世紀に世界に先駆けて近代化した西欧社会で、貴族やブルジョワという特権階級に生まれ、高等教育を受ける機会に恵まれ、経済的にも不自由のない生活を送れて、なおかつ今風の言葉でいえば「意識高い系」の女性たち(ときには男性)から始まった思想であり、彼女たちが起こした運動であるように思われている。もちろんそれもフェミニズムなのだけれど、それは主流だったり、元祖であったりしたわけではなかった、ということを「フェミニズムズ」の著者ルーシー・デラップはこの大著を通して主張しつづける。
 ケンブリッジ大学教授でイギリス近現代史が専門のデラップさんこそ、特権的な「位置」にいる人のはずだが、フェミニズムの歴史を紹介するうえでの目配りはそれこそグローバルに行き届いている本書は中東、東アジア(日本や中国の女性解放運動についてもかなりくわしく紹介されている)、インド、東南アジア、南アメリカ(チリやアルゼンチンなどでの性暴力に抗する女性たちの運動には感動した)、ロシア、ウクライナからオーストラリアやニュージーランドなどでも、女性たちが(だけでなく男性や性的マイノリティの人たちも)、生きる可能性を広げるために闘ってきた歴史が紹介されている。

 フェミニズムは地域によって、時代によって、また女性一人ひとりの「位置」によって、動機も異なれば、めざす目的もちがうし、訴え方もちがう。ジェンダー平等だけがフェミニズムの目標ではないし、思想として「これがフェミニズムだ!」と一冊の教科書にまとめられるものではない。
 だから「夢」「アイディアー考え・概念・思想」「空間」「物」「ルックー装い・外見」「感情」「行動」「歌」というテーマごとに、こんなふうに女性たちは自分たちが生きのびる道を探ってきたんだよ、と例をいくつも紹介していく書き方は、総花的と見えても、フェミニズム「ズ」と複数で紹介する意味ではまっとうな手法ではないか。

 本書で私が感動した話がある。2017年、ミス・ペルー・コンテストに出場したモデルたちが、自己紹介で名前や出身地に続いて、それぞれの出身地域で発生した女性の殺害、児童虐待やDV件数を発表したそうだ。それは南米で頻発するフェミサイド(女性や少女をターゲットにした殺人)に抗議して、SNSでハッシュタグをつけて拡散した運動#NiUnaMenos(もう一人の犠牲者も出さない、の意味)に触発されてのことだったという。

ミス・コンは若い女性の身体を、男性たちの性的・美的基準でモノ化している、と反対してきた人たちは少なくない。だがそれを逆手にとり、にっこり笑うだけでモノ言わぬはずのミス・コン出場者が女性への暴力反対を訴えるという、まさにフェミニズムにのっとった主張を公の場でしたことは、フェミニズムの訴え方にはさまざまな手法があることを示している。

 ペルーのミス・コンのあと、#NiUnaMenosの運動は世界的に広がった。実は私も南米だけでなく、スペインで、フランスで、女性たちが集まって、女性への暴力撲滅を訴える画像を以前に見ていたが、ペルーのミス・コンが契機になったことは知らなかった。このエピソードを知っただけでも、本書を読んだ価値あり、と思っている。

 

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表紙は
アフガニスタン女性革命協会の創設者、ミーナ・ケシュワル・カマルさん。カブールで女性の識字能力や雇用に関連するプロジェクトに取り組み、DVに反対する運動を行っていた。協会のメンバーは、アフガニスタンにカメラや機関紙を持ち込むには全身をおおうブルカが役に立つと考えていたそうだ。カマルさんは民主化運動に命懸けで取り組むも、パキスタンに亡命を余儀なくされ、その地で1987年に暗殺された。31歳だった。