あと少しでいよいよ70代突入です。カウントダウンですね。
 この1ヶ月ほど、60代は私にとってどんな10年だったかなと考えることが多くなりました。
 60歳になったとき、できるかぎり自分のことは自分でやれるようにしようと決意。見知らぬ土地をめぐるひとり旅に挑戦しました。それがもう楽しくて、味わったことのないほどの解放感ですっかり自信をつけ、その後も何回も国内外を問わずひとり旅に挑戦しています。コロナ期間中は自粛していましたが、昨年は久しぶりに海外ひとり旅にも出ました。
 仕事だけでなく、日常生活でもやってみたかったけれど、自分には向かない、やれないと思い込んでいたことも60代のうちにやってみうようと思って、新しいタイプの仕事にも挑戦したし、梅干しや味噌など保存食作りもやってみました。コロナ自粛期間中はなんと一番苦手な裁縫にも挑戦しましたよ。やっぱり苦手ですぐにやめましたが。
 そして60代は親と家族との関係を再構築する10年でもありました。北欧ひとり旅から帰国してまもなく実家を訪れたとき、父が私をこっそりと呼び「なんかあったら、お金関係の書類はここに入っている。知らせる人の名簿もあるから、頼むわ」と引き出しの書類入れの場所を教えました。どうもそのころに余命を告げられていたらしいとわかったのは、その8ヶ月後に亡くなったあとでした。
 私が50代半ばのころ、母が何回か入院することがあり、関西の実家に定期的に通っていろいろと実家のあれこれを手伝うようになりました。そうなって気がついたのは、お金のことや親の人間関係についてまでも、私が親にかわって決める立場になったことでした。つまり年老いた親を守るのは子どもなのだ、とわかったのです。子どもの自分が親に守ってもらうことを当然と思っていたのに、「え? 親子逆転か?!」と愕然。
 母は自分が40代のころからしつこいほど私に「お父さんに何かあったら、あんたが私を守ってくれるんだよね」と念を押し、そのたびに私は重い気持ちで「そうだね。大丈夫だよ」と答えていました。父はそこまで露骨に守ってほしいとは言いませんでしたが、それでも余命宣告を受けたころから「いろいろと世話をしてもらわなならん。頼むわ」と私に言うようになりました。
 私が「自分のことはできるかぎり自分で決めて、自分でやれるようにしなくては」と決意を固めた背景には、自分が親を守る立場に置かれたと気づいたことがあります。
 もうね、60代のテーマソングはユーミンの「守ってあげたい」でしたよ。

 You don't have to worry, worry, 守ってあげたい〜〜
 あなたを苦しめるすべてのことから
   Cause I love you
 
 正直、重かったですね、愛しているなら守ってあげたくなるはずだ、守ろうとしないのは愛してないからだ、と突きつけられているみたいでね。口ずさむたびに胸のなかがもやもやして、どんよりしていました。
 でもっていま、私は親のつぎに夫を守らねばならない立場になったのか、と思うことが多くなりました。60代は親の「守ってくれ」攻撃(してるわけじゃないだろうけれど)に対して親子関係をどうとらえればいいのかと悩んだけれど、70代は配偶者との関係にあらためて悩むのかといまは気が重い。もうユーミンの歌はありえませんからね(Cause I love youの箇所が)
 家族間の人間関係を「守ってあげたい/守ってもらいたい」を超えてどう再構築していくか。
 ケアをする/されるときの距離をどうとるか。70代はそれを考え、葛藤する10年になりそうです。