7月最後の日だった昨日にながながと振り返り月着(げっき=ひと月の記録。造語かな)を書いたのですが、何回トライしてもアップできませんでした。何なんだよ、ブログは時代遅れってことかよ、と毒づくのはほどほどにして、気を取り直して7月に読んだ本、観た映画やドラマなどについてあらためて記しておきます。
映画館で観た映画は2本。
「90歳、何がめでたい」作家、佐藤愛子さん(すでに100歳を超えられました)が90歳のときに書かれたエッセイが大ベストセラーになり、それに基づいて佐藤さんを草笛光子さんを演じられ、編集者を唐沢寿明さんが演じた映画です。(なぜか「さん」づけしている)書友に誘ってもらって、書道のお稽古の帰りにシネコンで見ました。観客の平均年齢は60歳を超えていたね、きっと。歳を重ねるひとつの姿を描いているのだけれど、40歳以下が見たらピンとこないんじゃないかと思いました。草笛さん(90歳超えていらっしゃる)がきらきらとまぶしいほどに美しく、90歳超えてなお現役社会人を演じているのもどこか絵空事に感じられるのではないかと。でも、映画のところどころに私は老いの現実を感じて、単なるコミカルな映画とだけは受け取れなかったな。
「ピクニックatハンギングロック」1986年に日本で公開され、今にいたるまで映像の美しさと謎めいたストーリー(実話をもとにしている)でファンが多いという映画。監督のピーター・ウィアーはこの映画がオーストラリアだけでなく世界的にヒットして注目を集め、やがてハリウッドに進出してハリソン・フォード主演の「刑事ジョン・ブック/目撃者」を撮りました。私は「ピクニック〜」がオーストラリア映画祭で日本で初公開されたときに観に行き、その後小説も読みました。掘れば掘るほど迷路に迷い込むような映画で、38年ぶりに観ると、最初に観たときや小説を読んだときには「見えていなかった」ものがおぼろげに見えてきたような気がしています。
配信で見た映画は8本ほど。とくに印象に残った2本について書いておきます。
なんといっても印象深かったのは「Perfect Days」ヴィム・ヴェンダース監督、役所広司主演の話題作ですが、1年に1回くらい見直したいと思ったほどよかった。あらすじを書いたり、役所広司演じる主人公の平山がトイレ掃除の仕事場に向かうときに車内で聴くカセットの音楽についてはもうあちこちで書かれているのでやめておきます。そこで使われている70年代、80年代のロックやソウルも脳に染み入ったのですが、それ以上に子どもたちのはしゃぐ声などの街のざわめきや風が木々を吹き抜けていく音、かすかな鳥の声、風呂屋に響く水や桶の立てる音、などがどんなセリフや歌よりも染み入る「音楽」なのだと思いました。と言いながら、平山が早朝、朝日が昇る時間帯に仕事場であるトイレに向かう高速道路で聴く「朝日のあたる家」の本家The Animalsとlukiによるカヴァーを毎日繰り返し聴いています。音楽だけでなく、役所広司の身体性が目に焼きつくなど映像も美しい。ヴェンダース映画のなかで私は一番好きかも。ほんと染み入る映画です。
「Saint Frances セイント・フランシス」34歳独身、定職なし、パートナーなしの女性が、バイトでゲイ・カップルの6歳の少女の子守りをすることになる。パートナー探しのパーティで知り合った男性とセックスしたら妊娠して中絶することになったり、コンプレックスから苦手意識があった両親と久しぶりに会ったら母親からあたたかいメッセージをもらって感動したり、少女のギター教室に付き添いでいったら教師にひと目惚れしていいところまでいくけれどロクでもない男だとわかって幻滅したり……少女、フランシスやその両親とつきあっていくうちに、人との距離の取り方や、人に甘えることができる大人へと成長していく、とまとめてしまえばそんなストーリー。
読んだ本でガツンと殴られたような衝撃を受けたのは、
ハン・ガン著 斎藤真理子訳(白水社)でした。済州島4・3事件を生き延びた母親の最後の晩年を共に過ごした映像作家のインソンと、光州事件を扱った小説を書き終わって抜け殻のようになったキョンハが、生と死を行き来しながら語り合うという形式。なんてこんな薄っぺらい言葉ではとてもあらわせない。読んでいる間、大きな灰色の霧のようなものに取り巻かれて、前にも進めず、引き返すこともできず、それでは苦しいのかというとむしろ痛痒いみたいな気分のまま読み進みました。一気に読んでしまったのだけれど、もう一度読み直す必要を感じています。
娘に勧められて「七王国の玉座」ジョージ・R・R・マーティン著 岡部宏之訳(早川書房)をいま読書中。ファンタジー好きとしてはこれは読まずに死ねるか本ですね。
酷暑をいいわけに、毎日のように配信で映画を見て、TVerでオリンピックを見て、ちっとも仕事していない。熱中症になるから外に出かけるのは控えて、といわれても、サッカーの試合は見に行ってしまうし、旅行も行ったし、書道をはじめ展覧会にもあちこち出かけています。元気の証明、ということにしておこう。
映画館で観た映画は2本。
「90歳、何がめでたい」作家、佐藤愛子さん(すでに100歳を超えられました)が90歳のときに書かれたエッセイが大ベストセラーになり、それに基づいて佐藤さんを草笛光子さんを演じられ、編集者を唐沢寿明さんが演じた映画です。(なぜか「さん」づけしている)書友に誘ってもらって、書道のお稽古の帰りにシネコンで見ました。観客の平均年齢は60歳を超えていたね、きっと。歳を重ねるひとつの姿を描いているのだけれど、40歳以下が見たらピンとこないんじゃないかと思いました。草笛さん(90歳超えていらっしゃる)がきらきらとまぶしいほどに美しく、90歳超えてなお現役社会人を演じているのもどこか絵空事に感じられるのではないかと。でも、映画のところどころに私は老いの現実を感じて、単なるコミカルな映画とだけは受け取れなかったな。
「ピクニックatハンギングロック」1986年に日本で公開され、今にいたるまで映像の美しさと謎めいたストーリー(実話をもとにしている)でファンが多いという映画。監督のピーター・ウィアーはこの映画がオーストラリアだけでなく世界的にヒットして注目を集め、やがてハリウッドに進出してハリソン・フォード主演の「刑事ジョン・ブック/目撃者」を撮りました。私は「ピクニック〜」がオーストラリア映画祭で日本で初公開されたときに観に行き、その後小説も読みました。掘れば掘るほど迷路に迷い込むような映画で、38年ぶりに観ると、最初に観たときや小説を読んだときには「見えていなかった」ものがおぼろげに見えてきたような気がしています。
配信で見た映画は8本ほど。とくに印象に残った2本について書いておきます。
なんといっても印象深かったのは「Perfect Days」ヴィム・ヴェンダース監督、役所広司主演の話題作ですが、1年に1回くらい見直したいと思ったほどよかった。あらすじを書いたり、役所広司演じる主人公の平山がトイレ掃除の仕事場に向かうときに車内で聴くカセットの音楽についてはもうあちこちで書かれているのでやめておきます。そこで使われている70年代、80年代のロックやソウルも脳に染み入ったのですが、それ以上に子どもたちのはしゃぐ声などの街のざわめきや風が木々を吹き抜けていく音、かすかな鳥の声、風呂屋に響く水や桶の立てる音、などがどんなセリフや歌よりも染み入る「音楽」なのだと思いました。と言いながら、平山が早朝、朝日が昇る時間帯に仕事場であるトイレに向かう高速道路で聴く「朝日のあたる家」の本家The Animalsとlukiによるカヴァーを毎日繰り返し聴いています。音楽だけでなく、役所広司の身体性が目に焼きつくなど映像も美しい。ヴェンダース映画のなかで私は一番好きかも。ほんと染み入る映画です。
「Saint Frances セイント・フランシス」34歳独身、定職なし、パートナーなしの女性が、バイトでゲイ・カップルの6歳の少女の子守りをすることになる。パートナー探しのパーティで知り合った男性とセックスしたら妊娠して中絶することになったり、コンプレックスから苦手意識があった両親と久しぶりに会ったら母親からあたたかいメッセージをもらって感動したり、少女のギター教室に付き添いでいったら教師にひと目惚れしていいところまでいくけれどロクでもない男だとわかって幻滅したり……少女、フランシスやその両親とつきあっていくうちに、人との距離の取り方や、人に甘えることができる大人へと成長していく、とまとめてしまえばそんなストーリー。
読んだ本でガツンと殴られたような衝撃を受けたのは、
ハン・ガン著 斎藤真理子訳(白水社)でした。済州島4・3事件を生き延びた母親の最後の晩年を共に過ごした映像作家のインソンと、光州事件を扱った小説を書き終わって抜け殻のようになったキョンハが、生と死を行き来しながら語り合うという形式。なんてこんな薄っぺらい言葉ではとてもあらわせない。読んでいる間、大きな灰色の霧のようなものに取り巻かれて、前にも進めず、引き返すこともできず、それでは苦しいのかというとむしろ痛痒いみたいな気分のまま読み進みました。一気に読んでしまったのだけれど、もう一度読み直す必要を感じています。
娘に勧められて「七王国の玉座」ジョージ・R・R・マーティン著 岡部宏之訳(早川書房)をいま読書中。ファンタジー好きとしてはこれは読まずに死ねるか本ですね。
酷暑をいいわけに、毎日のように配信で映画を見て、TVerでオリンピックを見て、ちっとも仕事していない。熱中症になるから外に出かけるのは控えて、といわれても、サッカーの試合は見に行ってしまうし、旅行も行ったし、書道をはじめ展覧会にもあちこち出かけています。元気の証明、ということにしておこう。
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