稲本潤一選手、イナが45歳でいよいよ引退を発表しました。
引退の記者会見の記事を読みながら、イナが17歳6ヶ月でプロデビューした試合(エムボマの頭でドリブルしながらのゴールとともにイナのデビューの走りが何回も放映された)、2000年AFCアジアカップでの勇姿(日本は優勝したのだけれど、決勝戦イナは累積で出場できずタッチライン際で水を運んだりしていた)、そしてもちろん2002年ワールドカップでのベルギー戦とロシア戦のゴールなんかを思い出していました。
私が稲本選手を初めて生で見た試合は、たしか2000年春のはじめ頃、改修前の万博記念競技場だったと思います。対戦相手はしかと覚えていませんが神戸だったと思います。万博バックスタンドのコンクリの席が冷たくて、おなかが冷えたのかトイレが近くなって困ったことのほうを試合内容よりよく覚えています。それとまだ芝生立ち見だったゴール裏の応援が分離していたことかな。万博でサッカーの試合を観戦したきっかけも、出張で関西に行ったとき、伊丹空港からモノレールで万博に行けると知って、それじゃ行ってみようかと思ったくらい。申し訳ないけれど、そのときはガンバのファンと胸を張れるほどではなく、試合もまったりとしてたしか引き分けだったのだけれどそれほど悔しくもなく、稲本選手の姿も「ああ、あれがガンバの希望の星か」くらいだったような。
その後まもなくアンダー世代の日本代表として稲本選手が大活躍するようになり、しだいに私はガンバにのめりこむようになりました。一応関西出身ではあるけれど、18歳からずっと関東で暮らしていた私がなぜにガンバのサポなのかとよく聞かれるのですが、一番といっていいくらい大きな理由は「稲本選手とともに成長していくガンバを見ていることに胸がわくわくしたから」だと思います。
あのころのガンバは本当に弱かったけれど、イナだけじゃなく左サイドをよく走っていた新井場選手(クロスあげたらそこでソックスを直して休んでいたりして、はよ戻らんかい、SBやろとかイライラしたけれど好きでした)、宮本選手、二川選手(10番になったときには3年連続ユニを書いましたね)、大黒選手、橋本選手といった若手の個性的な注目株がいっぱいいて、彼らが成長したらきっと優勝争いができるような強豪チームになるにちがいないと夢が見られました。そして実際夢はかなったしね。
引退会見でイナが印象深い試合としてあげていた2001年パリ、サンドニで開催されたフランスとの親善試合ですが、私は現地で生観戦したんですよ。サッカー雑誌の企画に応募して、ハガキにびっしりと日本代表とかJリーグのことをいっぱい書いて、そのときはもう「ガンバサポです」とかはっきり名乗って、一番に応援しているのは稲本選手と宣言しました。それが実ったのか、当選して招待でパリにいったわけです。ラッキー! 0−5で日本はボロ負けして世界に恥を晒した、とか言われましたけれど。
稲本選手がガンバに在籍していた期間は長くないけれど、私をガンバサポにした「張本人」のひとりであることはまちがいなく、私にとってイナは今もガンバの選手です。イナがいたからこそ私はガンバを知り、サッカーがますます好きになり、負け続けても、がっかりして腹が立つことが多いシーズンでも、なんとかガンバを応援し続けていられるのだと思います。
稲本潤一選手、お疲れさまでした。
またガンバでイナの姿が見られることを期待しています。