2月に入ってイライラをここでぶつけているような内容に反省し、気持ちが少し上向くようにどうでもいいことを書いてみます。
先日、わりに最近仲良くなった方に「元子さんは子どものころに何になりたかった?」と聞かれました。10代のころは本屋になりたかったです。本屋の店先に座って、お客さんから探している本のことを聞かれたら、さっと立ち上がってその本が並んでいる棚を教えて、ついでに関連するおすすめの本なども教えてあげられるような本屋さんになりたいと思っていました。
私は実は出来の悪い子どもで、学校の成績はぱっとせず、運動神経がないから運動もだめでのろま。不器用で、忘れ物ばかりして、先生にも親にも叱られてばかりでした。でも、本を読んでいれば現実の情けないみじめな自分を忘れることができました。
子どものころ、お誕生日のプレゼントでは本をねだりました。父方の祖母が「本ならなんぼでもこうたるわ」と言ってくれたので、お小遣いでは手が出ない岩波書店の小学生向け単行本を買ってもらいました。ドリトル先生シリーズ、リンドグレーンの名探偵カッレくんシリーズ、メアリー・ポピンズ、アーサー・ランサムのつばめ号とアマゾン号シリーズなどを夢中になって読みました。それが高じて「大人になったら本屋さんになろう。そしたらいくらでも本が読める」と思ったのです。あまいね。
モデルにしていたのは、2駅先にあった小さな本屋さんで、そこのおじさんが無愛想なんだけれど、どれだけ長いこと立ち読みしても知らん顔で、たまーに私が本を買うと、ぼそっと「この作家なら、私ならこちらを薦めるね」とか言ってくる。高校時代に安部公房に夢中で、「燃えつきた地図」の単行本が欲しかったのだけれど高くて手が出ず、函入りでパラフィン紙が巻いてあるので立ち読みをするのもはばかられ、どうしたものかとほぼ毎日学校の帰りに本屋で手に取って眺めていたことがあります。年が明けてお年玉をはたいて思い切って買ったら「よかったなあ、やっと買えて」とか言ってもらいました。おじさんの笑顔を初めて目撃したときでした。
しかし長じて「本屋になってしまったら、思いっきり本が読めなくなる」と知り、本屋勤めも本屋開業もあきらめました。
大学卒業後はアパレル会社につとめ、外資系の会社で秘書をやり、繊維関係の広報機関で働き、その後フリーランスの翻訳業とライターになったのですが、本当になりたかったのはなんだったのだろうか? とときどき考えます。いまさらですが、思いっきり本が読めたら職業はなんでもよかったのかな、とか思ったりもするのです。でもライターの仕事で一番長く続いたのが、書評とか本の紹介だったし、翻訳をやるにあたっても資料として本が読めたので、結局私はなりたかったものになっているのかもしれません。

ああ、でも死ぬまでに一回くらい、本屋さんの店員をやってみたいなあ。